シナリオ

飛行機
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旅行応募

 雪がちらついてきた。安物のコートは風にあおられてバタバタ音を立てた。
 秀樹はデパートの中にやっと逃げ込み、手袋を取って食品売り場を物色した。
 惣菜がなかなかおいしいので、だいたい毎日、夕食の品はここで手に入れる。うなぎ、とんかつ、すし、天ぷら、焼き魚、煮物。一通りそろっている。東京あたりの専門店が出ているからうまいのは当然で、それでいて外食するより値段が安い。それに、彼がよく行くとんかつ屋の女性店員は愛想がよい。彼は、「おばちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。
 「お客さん、独身なのかい?」
 「結婚していたら毎日デパートの惣菜売り場で晩飯のおかずを買ったりしねぇよ」
 「いい男なのにねぇ。でも、彼女はいるんだろ?」
 「いないって」
 秀樹は少し向きになって言う。おばちゃんの何気ない言葉は、結構彼の胸の深いところを突き刺したのだ。
 おばちゃんは、「言いすぎたかなぁ」と、少し反省し、慰めるつもりでこんなふうに言う。
 「私が若ければねぇ」
 おばちゃんはそう言って、丸っこい顔いっぱいで笑いだす。
 彼は軽く受け流し、会計を済ませ、レジ袋をぶらぶらさせて歩きだす。
 「キャベツを多めに入れておいたよ」
 「サンキュー」と、彼は後ろも見ずに言って、すたすた外に歩いていく。
 正面出入口の大きな自動ドアの前までくると、彼はデパートガールにとびきりの笑顔で呼び止められた。
 「ただいま当店のカードにご加入なさった方には、抽選によってプレゼントを差し上げております。いかがですか?」
 夕食を買う程度なのだが、どうせなら、明るく、清潔感があり、雰囲気のよいデパートで買い物がしたい、と思っている。「駅前商店街の活性化に一役買っているのさ」と、彼はよく冗談まじりに言っているが、実はきれいなデパートガールを眺められることも大きな要因だった。入口でこんなふうに呼び止められることも、それほどいやな気はしない。しかし、必要なものを勧められることはめったにないので、たいがいは素通りしてしまう。
 「またやっているよ」と思いながら、デパートガールの顔だけはちらっと見る。
 「この顔どこかで見たことあるぞ。背が高いな。亜矢子に似ているよ」などと、ついつい立ち止まってその顔を見ていたら、彼はとうとうつかまってしまった。
 「お客様、当店のカードはお持ちですか?」
 「持っていないけど……」
 亜矢子似のデパートガールは、ここぞとばかりに説明し始め、秀樹は入会金も年会費も無料だということがわかったので、結局加入することにしてしまった。手続きをしながら女を眺めてみると、亜矢子とはかなり違うことがわかった。亜矢子はもっと髪が短いし、背も低い。いや、決して低いのではない。この女が高すぎるのだ。そんなことを彼が思っていると、デパートガールはきれいな目をまっすぐ向けてしゃべりだした。手には書類とペンを持っている。マニキュアは黄色い。それも薄い自然な色合いで品がよい。
 「ただいま抽選によるプレゼントを実施しておりまして、当選なさった方には、Aコースではヨーロッパ・ペア旅行、Bコースでは液晶テレビをお贈りいたしておりますが、お客様はどちらを希望なさいますか?」
 「ヨーロッパ旅行」
 ちらっと、女は彼を見た。
 「こちらはペアで行くことが絶対条件となる一風変わったキャンペーンなのですが、よろしいですか?」
 「亜矢子はマニキュアをしてなかったよなぁ」と、彼が別のことを考えていると、返事のないことは承諾の意味と受け取り、店員は手続きを進め、彼は応募を済ませた。秀樹は外に出て、強い風の中を駅まで歩いた。その途中、先程のやりとりで何か気になることがあったが、突風の吹きつけた砂ぼこりが目に入り、その痛さに苦しんでいるうちに、何を思い出そうとしていたのかを忘れてしまった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日