シナリオ

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旅行当選

 小さな駅の付近は畑が多い。人家や商店はほんのわずかしかない。小さな商店の裏手に、秀樹が住んでいるアパートがある。その建物だけが妙に新しい。ホールの自動ドアを抜けると、もう一つ自動ドアがある。それは暗証番号を入力しないと開かない。秀樹は郵便箱に入っていた物を全部取り出すと、暗証番号を入力し通路に出て、エレベーターまで歩いた。四階で止まり、新しくて感触のよいビニール製の床を歩き、自分の部屋の前で立ち止まると、鍵に付いているボタンを押した。ピッ、と機械音がしてドアのロックが外れた。彼はダイニング兼リヴィングになっている部屋で、カバンも買い物袋も郵便物もテーブルの上に投げ出し、寝室に通り抜けた。そして、コートもマフラーも手袋も身に着けたままベッドに体を投げ出し、しばらく天井を眺めた。
 「また亜矢子にやられた。係長も係長だよ。執筆するのは俺なのだから、カメラ担当の亜矢子から意見を出させることはやめて、全部俺に任せてくれればいいんだよ。それを、『役割は違っても二人で広報をつくっているのだ。だからアイデアは両方に出してもらう』なんて、理解に苦しむことを言いやがって」
 彼の企画は通らなかったのである。秀樹の企画は確かに興味深い。しかし、県の広報誌としては適切とは言えないし、彼の職責の限界をはるかに超えている。極端な例を挙げれば、国が高速道路の計画の見直しを決定したことに対して、断固反対を県民に呼びかけようとする内容の記事を、彼は書こうとするのである。そんな企画記事が出たら、県庁は大騒ぎになる。広報は、県庁から県民へのサービスについて、その情報を滞りなく伝えるのが使命である。それに加えて、県内の主だった出来事や活躍の目立った人物などを、事実として紹介できれば十分役割を果たしていると言える。しかし、彼のように、県民に対して一つの立場で意見を訴えるなどというのは、明らかに行き過ぎである。そういうことは、利害のある人かマスコミ、あるいは政治団体などのすることである。正義感が強いのはよいのだが、そこのところが今一つ理解できていないので、係長は苦肉の策でカメラマンの亜矢子にもアイデアを出させることにしたのである。彼女は係長の胸の内をよくわかっているのでいかにも広報らしい記事を企画した。決して秀樹の考え方のすべてを受け入れられないわけではなく、個人的には関心があることも多いのだが、やはり広報としての適切さを考慮しないわけにはいかないので、係長の期待通りの役割を自ら進んで担っている。新聞記者か物書きになりたかった秀樹は、自分の記事が採用されないことが面白くない。もちろん彼だって広報向きの記事というものはどういうものか、ある程度は理解しているので、それなりに抑制して、自分としては客観的に考えて、この内容なら十分に採用されるだろうと思われるものだけを企画しているつもりなのだが、それがことごとくまずいのである。要するに、思いが強すぎて、から回りしているのだ。亜矢子はそんな彼の気概がいやであるどころか、内心で好感を持っているだけに、採用されなかった時の気落ちした彼に対して本当は同情を寄せているのである。
 亜矢子の企画は、△△神社の初詣とか△△消防署の出初式とか、秀樹にとってはもの足りないものばかりである。しかし、係長の判断で決定してしまえば、否でも応でもそれに従わなければならない。それで明日は、亜矢子の提案した企画に沿って、今春開設される△△短期大学の介護福祉学科の取材をすることになっている。インタビューするのは秀樹で、撮影するのは亜矢子である。
 「結局俺が文面を書くのに、あいつのアイデアがもとになっているなんて、面白くねぇぜ」
 彼はダイニングルームに移動し、冷蔵庫からビールを取り出し、半分ほどをあっという間に飲んだ。ふとテーブルの上の郵便物に気づき、何でもいいから気をまぎらすものがほしくなって、その一つを乱暴に開けて中身を引っぱり出した。いつかカードに入会した、例のデパートからのものだった。「重要」と朱書きされている。文面を読み進めていくうちに、彼は今まで怒っていたことなどは、すっかり忘れてしまった。手紙には次のように書かれていた。
 「△△フェア懸賞・Aコース、ヨーロッパ・ペア旅行当選おめでとうございます」
 秀樹は、しばらく茫然としていた。やっと事態が飲み込めてくると、まずは、いつこの懸賞に応募したのかと、記憶をたどってみた。亜矢子に似ているデパートガールに声を掛けられ、手続きしたことがあったのを思い出した。次は、この企画を疑った。年会費を何万円も支払うという条件があるのではないかとか、いろいろな落とし穴を想定し、丹念に書類を確認した。しかし、まぎれもなく豪華ヨーロッパ無料招待旅行であるという事実が明白になるだけであった。そういうことをついに理解すると、やっと彼は喜びの声を上げた。そして、それまで腐っていたのは何のその、またたく間に部屋着に着替え、味噌汁をつくり、惣菜を皿に並べて、飲み残りのビールを飲み干し、冷蔵庫から取り出した新しいビールをシュポッと開けて、乾杯と一人で叫び、幸福な夕餉を過ごした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日