シナリオ

飛行機
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 玄関に入ると、亜矢子はすぐに受付に声を掛けたので、この件についてはとりあえず保留になった。秀樹は心残りだったが、仕方がなかった。
 短大の事務員に学長室に通され、名刺交換のあと、取材が始まった。学長はいかにも人格者といった感じの人物で、健全な社会づくりに対して並々でない熱意を持っているように感じられた。新設される短大の入学式の日時や定員、学科名、取得可能な資格など、基本的な事柄を聞き、施設見学をすると、それで取材は済んだ。お決まりの形であり、手慣れている二人はそつなく取材を終えた。
 最後に学長がPRした。
 「今、介護福祉は注目を浴びています。これから介護福祉学科を設立する大学、短大はますます増えていくでしょう。しかし、△△県には△△短大あり、と言われるようになりたいですね。新しい学校ならではのメリットもたくさんあります。介護用ベッドや浴槽は最新式のものなので、これは現時点ではどの学校にも負けませんよ。我々はこれからの高齢化社会に必要とされる、しっかりとした技術と知識を備えた優秀な人材を、たくさん世に送り出していくつもりです」
 秀樹も亜矢子も、この熱意にあふれた言葉と、みなぎる精力には心から感心した。取材に行くと、いつも何かしら得ることがあるが、新しい分野に力強く乗り出していく人物には本当に感動する。この瞬間を迎えると、この仕事をやっていて本当によかったな、と実感するのだ。
 寒い車内に戻り、ヒーターを付けると、亜矢子が言った。
 「だけど立派よね。大変な仕事をしている人に接すると、何だか自分のやっていることが半端に思えてきちゃうわ」
 「何でそんなふうに思うのさ? 俺たちは県民の暮らしになくてはならない仕事をやっているだろ」
 「そうかしら。私なんかいなくても、誰も困らないと思うけど」
 「当たり前の人々の生活を多くのスタッフで支えているのさ。確かに一人一人のスタッフのレベルで割り算したら、どういう役に立っているのか見えづらいかもしれない。でも、確かな目を持っている人は、俺たちに恩恵を感じてくれているはずだよ」
 「不思議、秀樹にこんなふうに諭されるなんて、何だか逆みたい」
 亜矢子は、助手席で上体を反らした。
 「ところでさ、さっきの話だけど、俺、ヨーロッパに行くのはやめるよ」
 上体を反らしたまま、亜矢子は横目で秀樹を見た。
 「やるよ、チケット。行きたい人と行ってこいよ」
 亜矢子は身を乗り出した。
 「そんなわけにいくわけないでしょう? いいよ、私と行こうよ」
 身を乗り出したため、ハンドルを握る秀樹の腕を亜矢子の腕が押した。それを秀樹は肘ではねかえした。
 「本気かよ? だって彼氏がいるんだろ?」
 「わかった、わかった。もういいや。人助けして、あなたをヨーロッパに連れて行こうとした私が間違っていたわ」
 「じゃあ、こうしよう。旅行中に二人が変な気にならなくて済むよう、マニュアルを作ってみるよ。それをおまえに見せて、これなら誰が見ても心配ないというプランになっていたら、この件を成立させよう」
 それを聞いて亜矢子はのけぞりながら、声を立てて笑い出した。
 「まあ、気の済むようにしてよ。もし客観的に見てあぶなそうなプランだったら、きちんとお礼をしてチケットは私が引き取ってやるよ」
 二人は顔を見合わせ握手した。
 「よし!」
 「契約成立」と亜矢子は楽しそうに言った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日