シナリオ

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旅行規定集
その夜秀樹は、マニュアルを真剣に書いた。それは、マニュアルというよりは規定集だった。彼は、二人の関係をいくつかの条項にまとめた。第一条、二人の関係
旅行の参加条件である男一名、女一名、合計二名の定員を満たすためだけの関係に過ぎず、旅行中も旅行前後も変わることはない。
第二条、居室での過ごし方
秀樹は居室の利用を必要最小限にとどめ、就寝時はソファ等で仮眠する程度とする。
第三条、飲酒
飲酒が原因で不測の事態も起きかねないので、両者厳に慎むこと。
第四条、感情
仮に旅行中どのような感情が起こったとしても、それはまったく一時的なものに過ぎないので、衝動的な行動に移らないよう理性を働かせること。
亜矢子の期待
秀樹は、県庁のオフィスで規定集を亜矢子の机に置いた。真剣に仕事をしていた亜矢子は、手を休めてその紙片に目を通した。秀樹は壁に寄りかかってコーヒーを飲みながら、一つに束ねた亜矢子の髪を眺めていた。小さな犬のしっぽのような髪が揺れた。なんとなく亜矢子が寂しそうな表情をしているように思えて、秀樹は一瞬、はっとしたが、それはあまりにも自分にとって都合のよい解釈だと思い、すぐに撤回した。「大げさねぇ。別にこんなの作らなくても心配してないよ、私」
「俺は心配なんだよ。下手をすると、亜矢子にだっておかしなまねをしないとは限らないからな」
「そしたら、思いきりかみついてやるから平気だよ」
「とにかく、万が一間違いが起こったら、お互いにいやな思いをすることになるから、ずいぶん大げさなようだけど、しっかり手続きをしておこう。承諾できたらサインして」
「いやだ、ちゃんと署名欄と捺印欄まであるの? 秀樹は既に署名、捺印を済ませてあるのね。あきれたわ」
亜矢子は丁寧に署名をして、認め印を押すと、うやうやしく契約書を秀樹に手渡した。
「サンキュー。俺のこと変人だと思うかもしれないけどな、こうしなければ、男は女と同じ部屋に、他人としてはいられなくなる。俺と亜矢子には、そんな心配は無用なんだけど、念のためな、男の責任として。この紙は旅行中持ち歩いて、目につく所に広げておくよ」
「好きにして」
亜矢子が半ばあきれた様子になって、無言でデスクワークにかかると、秀樹も自分の机に戻った。しばらく書類に目を通していたが、またそのうちに向かいの亜矢子に話しかけた。
「亜矢ちゃん。俺のプラン、あまり面白くなかったかい?」
秀樹はこの規定集がジョークとしてなかなかのものだと自信を持っていたのだ。
亜矢子は顔を上げた。
「うーん。そうじゃないんだけど、もっと映画のシナリオみたいにドラマチックなものを期待していたのよ」
「だって、ドラマチックにならないように、規制を作ったんだぜ」
「それはそうかもしれないけど、読み物チックな方が楽しいし、秀樹さんならそのくらいできるのかなって思っていたから」
秀樹はしばらく渋い顔をして黙っていたが、急に大声を上げた。
「わかった!!」
「おい、そこさぁ、静かにしろよな! 勤務時間中なんだぜ」
係長に叱られ、秀樹は声を落とした。
「じゃあさぁ、際どい場面の対処法ということで、映画の台本みたいに書いてみるよ」
亜矢子の形のよい目が、急に輝きを帯びた。
「それ、面白いかも。楽しいシナリオを書いてね。できがよかったら、適当なコンクールを探して応募してあげるよ」
二人は、息を殺して笑った。
「あー、オッホン」
係長がわざとせき払いをすると、二人は真剣な表情でデスクワークに戻った。