シナリオ

12
搭乗
彼らが集合場所に行くと、ツアー参加者はすっかりそろっていて、添乗員の説明を受けているところだった。「というわけでございまして、当社の企画は、新婚間もないご夫婦、あるいは既にご結婚されていて円満に暮らしていらっしゃるご夫婦、さらにはこれからゴールを目指そうとする未婚のカップル、そういったお客さま方に、夢のような思い出作りをしていただこうと考え、ご用意させていただいたものでございます。具体的に申し上げますと、イギリスのウィンザー城におきます特製ウェディングドレスでの模擬結婚式、さらに、イタリアの△△ホテルにおきます、ローマの夜景を見下ろす特別スウィートルームでの、夢のような一夜の思い出作り、他にも細かい特典をたくさんご用意させていただいておりますが、詳しくはお手持ちのパンフレットを今一度ご確認ください」
秀樹はそれを聞いて驚いた。
「何だって、ウェディングドレスを着て結婚式をするだと。そんなこと聞いてねぇぞ」
「何を言っているのよ。あんなに細かく台本を書いた人が、どうしてそんなことを知らないわけ?」
「結婚式の見本を見るだけだと思っていたんだよ。まさか自分たちがそうするとは考えなかったぜ」
「だからカップルだけの招待旅行なんじゃない」
「まいったなぁ。それにしてもウィンザー城が日本の百貨店のイベントによく付き合ってくれたもんだぜ。正気とは思えねぇ。どこも財源が逼迫しているのかな。最もいくら財源が逼迫したとしても、うちの県庁を呼び物にした企画じゃツアー客は集まらないだろうけどな」
秀樹はショックを受けながらも努めて平静を保つようにした。そして台本どおりに行動しようと、自分自身に言い聞かせた。彼はツアーの一行の後をついて搭乗手続きをした。
心配していたセキュリティー・チェックでは難なく亜矢子もくぐり抜け、秀樹は安心すると同時に少しおかしくなった。
搭乗までカフェで暇をつぶし、いよいよその時が来ると、彼は亜矢子とカップルのように寄り添いながらゆっくり歩き、ジャンボジェットに乗り込んだ。
機内でも二人は台本に書いた通りのいかにもカップルらしい会話を交わした。実は秀樹は初めての海外旅行で、しかも初めて乗る飛行機だったので恐くて仕方がなかった。彼はついそれを口にした。
亜矢子はそれを聞くと思わず大きな声を出した。
「ええー! うそでしょ。三十過ぎたいい大人が飛行機に乗ったことがないなんて」
「うるせぇなぁ、おまえは本当にいやな女だ。でもさ、こういうご時世だと飛行機で海外旅行に行くことが恐いよな」
「何? 一体、何を心配しているわけ?」
「テロに決まっているだろ。飛行機でイギリスに向かうなんて、いかにも危険じゃねぇか」
亜矢子は笑い出した。しかし、嫌味がなく明るい感じだった。
「やだぁ、そんなことをいちいち心配していたら、一歩も外に出られなくなっちゃうよ。それに、機内にいる人たちはみんな日本人よ。どこにも怪しい人なんかいなそうじゃない」
「成田発の欧米路線で外国人が搭乗していないなんてことがあり得るかよ?」
「だってほら、本当にみんな日本人よ」
「そんなことがあるわけないだろ」
彼は亜矢子の言うことを頭から疑って、周囲を見回した。すると確かに、どこを見ても家の中にいるのと同然に安心しきってくつろいでいる日本人ばかりだった。
「まるで俺の心配が無用になるようにできているみたいだな」
「何か言った?」
「何でもねぇよ」
彼は亜矢子の追及を避けるかのように周囲を見渡しつづけた。そして、意外な人物に目が止まり、軽い衝撃を受けた。自分たちと反対側の窓際に、さっきカフェテリアで見かけた人相の悪い男が座って、こっちを窺っている様子である。男は秀樹の視線に気づくと、目をそらして雑誌を開いた。秀樹はその男のことが気になったが、ドリンクを飲んだり、亜矢子と話をしたりするうちに忘れてしまった。
それにしても、狭い機内の座席に長時間じっとしているのは退屈でつらいことだ。周囲にいる同じツアーのカップルたちは飽きもせず、睦まじく話しつづけている。偽カップルの秀樹と亜矢子も、周囲に余計な疑いを差し挟ませないために、仲良さそうな振りをし続けないわけにはいかない。職場の会話のような具合にもいかないので、彼らはシナリオに書いたセリフを適当につなげた。しかし、いよいよそれにもすっかり飽きてしまうと、テレビを見たり仮眠を取ったりするしかなかった。
秀樹は、おかしな夢を見た。何者かにどこかへ連れて行かれようとしているのだ。会議室のような部屋に入ると、ついさっき知り合ったばかりの歩夢がしばられていて、例の人相の悪い男がピストルで歩夢のこめかみにねらいをつけていた。腕を強くつかまれた痛さで、はっと目を開けた。すると、隣の亜矢子が自分の腕に両手でしがみついている。
「夢か」と秀樹は安堵して、亜矢子の顔を見た。彼女は苦しそうに顔をしかめて、汗を流していた。両手は秀樹の腕にしがみついたまま、彼女は口をわずかに動かした。
「歩夢」
確かに秀樹の耳にはそう聞こえた。亜矢子はその時、ぱっと目を開けた。何かにおびえているような表情だった。
「亜矢子、どうした? 大丈夫か?」