シナリオ
27
関係悪化
「ただいまー」亜矢子の明るい声が突然部屋の中に入り込んだ。
部屋の中では秀樹が一人で仏頂面をしていた。
「なによー。いるんだったら、お帰りとか何とか言ってくれたって、口が減るわけじゃないでしょー」
彼女は羽織っていたブルゾンを脱ぎ、衣装ロッカーにつるすと、ソファに秀樹と並んで座った。
「関係ないだろ。恋人でも何でもないんだからさ。おまえがこの部屋に戻ろうが、戻らずに誰と何しようが、俺の知ったことじゃないし、たとえそれが、俺の嫌いな男と出かけていたということでも、俺は一切とがめだてするつもりはないよ」
秀樹はうつむいて座ったまま、口から押し出すように重々しくそう言った。
亜矢子は立ち上がって、カーテンを開き、セーヌ川の夜景を眺めながら、努めて冷静に言った。
「変ねぇ。ちょっと嫌味に聞こえるのは私の根性がひねくれているせいかしら」
「別に嫌味なんか言ってないさ。おかしなことを言うなよな」
「あら、だって、暗に私が北川さんと食事してきたことを非難しているように聞こえたんだもん」
「おい、誤解するなよ。俺はおまえの恋人でも何でもないんだから、亜矢ちゃんが北川と酒を飲もうが、イボイノシシと一夜を過ごそうが、何の忠告を与える資格もないんだぜ」
「何、その言い方! 何で私が猪と寝なくちゃならないのよ! 何だかあなたは北川さんに対して偏見を持っているみたいで、とてもいやな感じよ」
「偏見なんか持ってないけど、あいつは無性に胸を悪くする奴だよ」
亜矢子は、むっとして、服を着たままベッドにもぐり込み、秀樹に背中を向けた。
「いやな感じ。私にとって何でもない存在であるはずの秀樹が、まるで恋人か身内のように私の行動に口出ししている」
「おい、変な言い方しちゃ困るぜ。俺は、一般論として、虫の好かない男について語っているだけさ」
「それは、今のあなたよ」
彼女は小声で言った。
「おい、何か言ったか?」
彼女は、疲れて寝た振りをして、もう何も言わなかった。
秀樹は、返事をしない亜矢子にいらだち、ソファに大の字になって、そのうちに寝込んでしまった。
栄治の誘い
亜矢子は、ローマに到着するまでの間、ほとんど秀樹と言葉を交わさなかった。ローマに着いて、午後の自由行動の前、昼食会場のレストランの席に座って、やっと亜矢子は秀樹と二言、三言言葉を交わした。そのとき携帯が鳴りだした。「あっ、栄治さん。うん、元気よ。ええ、秀樹さんと一緒。えっ? どこ? ジェラッテリア? なんていう名前のお店? わかったわ。秀樹さんと探してみるわ。え? 一人で来てくれって? なんで? でも、どうしようかしら?」
亜矢子は携帯を頬に押し当てたまま、複雑な心境で秀樹を見た。
彼は亜矢子に目を合わせずに、「一人で行ってこいよ。俺は一人で見たい所があるから、気にしなくていいよ」と言い、そのまま背中を向けて立ち去った。
「ちょっと、待って、待ってよ」
亜矢子は、携帯を耳に押し当てたまま、小走りに秀樹に追いつき、ひじの辺りをつかんだが、彼は厳然とそれを振り切って、人ごみを分けて行った。
亜矢子はしばらくぼんやりと立ち尽くしていたが、「もしもし」という栄治の声に我を取り戻し、「今から行く」と約束した。