シナリオ

28
麻衣の警告
秀樹は、大勢の人でごった返す飲食店のたくさん並んだ通りをスペイン広場に向かって歩いていた。ふいに自分を呼ぶ若い女の声がするので彼は驚いた。
「秀樹さん。こっちです。麻衣です」
ピザ屋のテラスのてすりに寄って、黄色い短パンから細い脚をまっすぐに伸ばした麻衣が手を振っていた。
「何か飲んでいきませんか?」
イタリア特有のくっきりした陽射しを背景に、日本風の顔立ちの麻衣がたおやかに微笑んでいる。秀樹は、陽気に話しているイタリア人たちの脇を抜けて、麻衣の座っているテーブルの近くに立った。
「どうぞ、お掛けになって」
麻衣に明るい声でそう言われ、秀樹は白い木の椅子をひいてどっかりと腰を下ろした。すぐに店員が注文票を持って近づいた。イタリア語の話せない秀樹が慌てていると、麻衣が彼の希望を聞き、彼の代わりにイタリア語でアルコール飲料を頼んだ。
一、二分の間は、彼らはなんでもない話を交わしていた。そのうちに、秀樹は、麻衣がローマにいる理由を知りたい気持ちが抑えきれなくなり、極めて率直に尋ねた。それに答えようとして、麻衣が首をかしげ口を小さく開きかけたところに、店員がやってきてアルコール飲料を秀樹の前に置いた。
「どうぞ、まずはのどを潤してくださいな」
風が吹いて、麻衣のセミロングの髪と初夏の色をしたブラウスを揺らし、かわいらしい彼女の胸のふくらみを際立たせた。それから彼女は自分の前にあるグラスを両手で持って、一口、二口飲んで、にこっと笑った。秀樹も口元を緩ませ、グラスを手に持った。
「それで、さっきの俺の質問には答えてくれないのかい?」
「あら、そうだったわね」
彼女は秀樹をまっすぐ見据えた。
「兄の仕事の手伝いをさせられているのよ」
「仕事? また例の公開実験か?」
「まあ、そんなところね」
秀樹は、何かを読み取ろうとでもするかのように麻衣の顔をじーっと見つめた。そして徐に切り出した。
「『ハッチク』ってインチキなんだろ?」
麻衣はおかしくて仕方がないというふうにしばらく笑った後、クロコポロサス皮のピンクのバーキンから取り出したものをテーブルの上に置いた。栄治が公開実験で使ったしゃもじみたいな道具だった。
「やってみて」
秀樹は器械を手にすると、おそるおそる自分の体や腕をこすってみた。何も感触がなかった。何の音もしなかった。
「もう、いいわ。貸して」
麻衣は秀樹から受け取った『ハッチク』の裏側から電池を取り出した。栄治が創設したという会社のロゴが入っている。
「ただの電池。中身は日本の某メーカーのものよ」
「時計には他にも電池を入れる場所があったってわけか」
「まあ、そんなところね。蓄電スーツの端子を接続する装置は、電気の溜り具合が表示されるの。一定量以上溜まったところでコンセントに差し込むと、装置から家庭の電力として供給されるという触れ込みになっているけど、電力会社から送られてきたのと、装置から供給されたのとを見分けるのは難しいわね」
「そんなにぺらぺらしゃべっちゃっていいのか? 俺が警察に行くとは思ってみないのか?」
麻衣はまた楽しそうに笑った。
「だからあなたのこと好きなのよ。あなたに付き合って、そんなストーリーを少し作ってみただけよ」
「ごまかすなよ」
「私たちはこういうことに慣れてるの!」
麻衣は間髪を容れず、今までのような柔らかい口調ではなく、剃刀のような鋭さで言い放ち、さらに秀樹の勇敢さを打ち砕くように畳み込んでいった。