シナリオ

飛行機
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 「俺もね、県の広報部で仕事しているから、たまにはカメラを持つんですよ。だけど、難しいものですね。自分なりにイメージというものがあるんだけど、なかなかぴったりにイメージどおりの写真は撮れないですよ」
 歩夢はその話題に乗ってきた。いかに普段写真を撮るときに力を入れているかという話を熱心に果てしなく語り始めたのである。秀樹は寡黙な歩夢に夢中で話させることができ、得意になりながら相槌を打った。秀樹が真面目に聞いてくれるので、歩夢もうれしくて、いつもは決して見せびらかしたりはしないのだが、バッグを開けて、カメラを出した。ごてごてと付属品がたくさん付いて、ぴかぴかに磨き上げられていた。
 「すげぇー、高そうなカメラだなぁ」
 素人らしく、つい金額に関心を持った秀樹に微笑み、歩夢はいとおしむようにカメラを両手で抱えながら、撮影の仕方の初歩について講義を始めた。プロの説明はわかりやすく、面白かったので、秀樹はいつまでも聞いていたい気分になっていった。そのうちに、彼は如才なく歩夢の話を中座させながら、夕食を食べていくかどうかを打診した。
 「まあ、まあ、こっちへ来て続きを話しなよ」と言って、秀樹はカウンターキッチンに移動し、反対側の回転椅子に歩夢を座らせた。秀樹は、鍋に水と昆布と煮干と鰹節を入れて電磁調理器のスイッチを入れた。炊飯器に米を入れてスイッチを押した。炊飯器は取水口と排水口で上下水道とつながっている。さらに米を研ぐ機能がついているので、放っておけばご飯が炊ける。冷蔵庫から缶ビールを出してカウンターに並べた。
 「まあ、とりあえずこれでも飲んでさ」
 歩夢は、断って帰ろうと思ったが、秀樹の軽妙でテンポのよい酒の出し方に乗せられて、回転椅子に腰掛け、秀樹の鮮やかな調理姿に見とれながら、撮影の話の続きを始めた。
 秀樹の部屋にあるエアコンは音を立てて冷気を吐き出していたので、涼しくて居心地がよかったが、それでもよく冷えた缶ビールを目の前にすると、歩夢の喉は鳴った。秀樹の差し出す缶に自分の缶をぶつけると、歩夢はおいしそうにビールを飲んだ。彼は調子に乗って、カメラへのこだわりについて熱弁した。秀樹はうんうんとうなずきながら、出来上がっただしで味噌汁を作り始め、鶏の唐揚げの下ごしらえもした。ついでに冷奴と箸を歩夢に差し出し、自分もカウンターの中でつつきだした。歩夢は秀樹の手際のよさにすっかり感心してしまった。
 「秀樹さんて、ご飯の用意をするのに慣れているんだねぇ」
 「長いこと独身だからな」
秀樹は照れ隠しにビールを一気に飲み干し、新しいのを一つ冷蔵庫から出した。扉を閉めるときに気づいて、もう一つ出した。
 「歩夢さんも飲むだろ?」
 「あっ、僕はあんまり飲めないから」
 「そう言わずにさ」
 「じゃあ、もう一本だけ」
 歩夢がアルコールにはそれほど強くないということは、すぐにはっきりした。彼は二本目を飲み終わる頃には顔を真っ赤にして、心なしか体がふらついているようだった。そして、話し振りが勢いづいてきて、カメラについてのすべてを話しつくしそうなくらいに、自分の話に夢中になっていった。
 「僕はね、写真というのは時代を常にリードしなければいけないと思うんだ」
 彼はそんなふうに写真というものの存在意義を何度も何度も説いた。
 「モデルの表情一つで、それを写したフォトグラファーの力量がわかるんだよ」彼は充血させた目を見開いて語った。
 「フォトグラファーって、カメラマンのことですか?」
 「ええ、今はそう呼ぶみたいだね。カメラマンっていう名称は、女性を差別することになるらしいよ」
 「へえー、いろいろ面倒くさい世の中になってきたなぁ」
 歩夢は、話はこれからという様子でさらに熱弁をふるいだした。
 「僕はね、写真を見るとき、モデルの表情をまず見るのさ。そうするとだいたい写真家がどの程度の力量なのかわかっちゃうんだなぁ。でもねぇ、そこのところに気付いている人は実はあまりいない」
 もうすっかり夜も遅くなっていたので、さすがに秀樹も疲れてきた。彼が電車で来たと聞いていたので、終電の時刻も気になった。
 「そうだ、歩夢さん、終電大丈夫かな? 俺、ちょっと調べてみるよ」
 またもや話を中断されて、満たされない気分の歩夢をそのままにして、秀樹はインターネットで時刻表を調べた。
 「大変だ、歩夢さん、あと十五分で終電が出ちゃうよ。幸いこのアパートは駅まで三分もあれば行けるからよかったね」
 「そ、それは助かりました。じゃあ、この話の続きはまた今度」
 「モデルの表情の話、とても面白かったから、またぜひ聞かせてください」と、秀樹は言い、少し考えてにやにやしながら歩夢に頼み込んだ。「ねぇ、もしよかったらさぁ、今度きれいなモデルを撮影するとき、撮影現場を見せてくれないかなぁ。いや、もちろん写真の勉強のためだよ」
 「ええ、もちろんいいですよ」歩夢もにやにやしながら返事をした。それから彼は、ふと我にかえって、今日の目的を何も達成していないことに気付いた。しかし、終電が発車する時刻もせまっている。それで今日はそのことはあきらめなければならなかった。こうなってみて今更ながら情けなくなり、少なくはない往復の交通費に見合わないまでも、秀樹に一矢だけ報いておこうと思い、ぼそっと言い放った。
 「あ、そういえばね、亜矢子、さん、も僕のモデルだったんですよ」
 彼はいつもの癖で「亜矢子」と呼び捨てにして、そのあと敬称を付け加えたが、秀樹はそのことに気を留めなかった。
 だが、話の内容は秀樹の心に深く突き刺さった。彼の表情を見て歩夢は満足した。秀樹の口から矢継ぎ早にこの件に関する質問事項が飛び出した。「亜矢子と前から知り合いだったのか」とか、「いつ頃モデルをしていたのか」とか、「どういう写真なのか」とか、気になることがすべて出てきた。しかし、歩夢が「今度また来た時に詳しく話しますよ」とかわしたときには、アパートの共有玄関にまでたどり着いていた。秀樹の態度は明らかに変わった。しきりに「また来てくれよ」と声を掛ける秀樹に、歩夢はにやにやして応じた。
 「また必ず遊びに来ますよ。今日は本当に楽しかったです。いろいろとおいしいものをごちそうになりましてありがとうございました」
 歩夢は深々と頭を下げた。
 「歩夢さん、本当に来てくれよ。絶対だぞ」
 真顔で言う秀樹にまた頭を下げ、歩夢は駅に向かって歩きだした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日