シナリオ

37
麻衣訪問
ガソリンスタンドから眺める景色。原色の赤と黄色。白い柱を見上げると屋根の切り取られた部分から夏の空がくっきりと見える。バイパスの反対側には家電量販店がある。原色の赤と青のくっきりとしたフォントの字が、壁面に表示されている。特に屋上の巨大なアルファベットのロゴの書かれた広告塔が目を引く。バイパスには買物に急ぐ人々の自動車がひっきりなしに走っている。秀樹はノズルをフックにかけ、給油口にふたをした。周りの給油機でも客たちが自分の車にガソリンを入れている。秀樹は車に乗り込み、燃費計算をして、エンジンをかけた。田舎道をくねくね通り抜け、大きな山を見ながらアパートまで車を走らせた。道幅の狭い舗装道路に真っ赤なスポーツカーが止まっていた。首都圏で登録されているナンバーステッカーを付けていた。駐車場に乗り入れるために赤い車を慎重によけていると、窓が下がってスカイブルーの縁のサングラスをかけた女が大きな声で呼び止めた。麻衣だった。
「秀樹。元気だった? 遊びにきちゃった。ねぇ、ずっと待っていたのよ。お部屋に上がらせて」
秀樹は思わず車を停止し、窓を開けて首を外へ出した。
「誰かと思ったよ。車を停めてくるから待っていてくれ」
秀樹が車を停めてアスファルトの地面に立ち上がると、もう麻衣は近寄ってきていた。鮮やかなオレンジのワンピースの裾を風に揺らしていた。
「驚いたでしょ。歩夢に教えてもらったのよ」
麻衣はにっこりして、それから辺りの風景を眺めた。
「やっぱり、△△県は空気がうまいね。いきなりやってきて怒っているんじゃない」
「俺は普通の市民だからね。大衆車に乗って、カップラーメンをすすっているんだよ」
「あら、私もカップラーメン好き。ねぇ、買い置きあるの? 一緒に食べよ。なければ、コンビニまで買いに行こうよ。乗せていくよ」
「よしてくれよ。そんなド派手な車に乗れるかよ。まあ、せっかく来てくれたんだから、寄っていきなよ。一人なのかい」
秀樹は暗証番号を入力して自動ドアを開けた。「あの山なんていうの? 大きいねぇ」という麻衣の声が後ろから追いかけてきた。
「一緒に入らないと閉まっちゃうぞ」
秀樹が建物に入っていくと、慌てて麻衣もついてきた。
冷蔵庫をバタンとしめて、冷たい麦茶の入った清潔なグラスを盆に載せた。それから、秀樹は行儀正しくグラスをテーブルに置いた。麻衣はしばらくグラスを見つめていたが、その美しい顔を上げて、唇を開いた。
「ねぇ、ビールとかチューハイとか、ないの?」
秀樹はあからさまに機嫌を悪くした。
「なんだよ、人がせっかく出してやったのにさ」
「ごめん、ごめん。麦茶もいただくけど、せっかく再会したのだから乾杯したいなと思って」
「だって、車で来ているじゃないか」
「平気、平気。そんなに飲まないから」
麻衣は、麦茶を一息に飲み干した。
秀樹はまた立ち上がって冷蔵庫を開けた。今度はさっきより音を立てて冷蔵庫を閉めた。忘れようとしていた相手がふいにやってきて、しかも態度がずうずうしいので、彼はあきらかに気が立っていた。缶ビールを二つ、手に持って、一つを麻衣に渡した。麻衣はさわやかな音を立ててプルタブを開け、「はい」と差し出した。秀樹は、「ああ」と言って麦茶を飲み干し、ビールを受けた。今度は麻衣が自分のグラスを、「はい」と差し出した。秀樹は丁寧にビールを注いだ。麻衣がグラスを秀樹のグラスに当てた。
「乾杯!」
秀樹も「乾杯」と、たいしてうれしそうにではなく言った。
「それで、どういう用事で来たんだよ」
「決まっているじゃない。私、謝りにきたのよ。あなたとあなたのかわいい人を危ない目にあわせてしまって、申し訳なかったわ。信じてもらいたいのだけど、私はあなたに対して少しも敵意を持っていないのよ」
秀樹は黙っていた。ビールをぐいぐいあおった。目はどこも見ていなかった。エアコンの送る涼しい風が麻衣の香水の匂いを運んできた。秀樹は黙って立ち上がり、また冷蔵庫を開けた。ドアの横から麻衣を見て、「君も飲むかい」とたずねた。
麻衣は大きくうなずいた。
ビールを飲みながら、麻衣は楽しそうにいろいろな話をした。どこの店がおいしいとか、なんのドラマが面白いとか、そういう類の話だった。時々、あなたは強い人ねとか、まっすぐ生きているのねとか、秀樹に対する評価を織り交ぜた。彼女は嫌悪すべき対象であるにしては、あまりにもかわいらしすぎた。