シナリオ

39
「かっこいい。だからあなたのことが好きなの。本当にこの業界の人たちには筋の通っている人がいないんだもん。あなたは筋が通っているから大丈夫だわ。マフィアにつけこまれることはないわよ。でもね、歩夢を助けることはできないわ。もちろん、私にもそれはできない。歩夢と関係がある亜矢子さんも同じことね。さて、ごちそうさま。私、帰るね。また、遊びに来てもいいでしょう。楽しいことをしましょうね」
麻衣は使った食器をキッチンに運び、手早く洗い、髪を整えて出て行った。秀樹は外へ出て見送った。彼女は、血中アルコール濃度が高い状態でスポーツカーの窓から笑顔で手を振って、エンジンを轟かせた。秀樹は夏の星空をしばらく眺めていた。快楽と不吉な予感を同時に味わっていると、生暖かい風が皮膚に絡みついた。
「じゃあ、私、取材の許可証をもらってくるね」と、亜矢子はうれしそうに言って、カメラバッグを秀樹に預けた。亜矢子が戻る間、秀樹は周囲の入場者たちを観察していた。
高校生ぐらいの女の子が母親に話しかけている。
「おかあさん、さっきさあ、おかあさんにそっくりな人がいたよ。おとうさんがさあ、話しかけようと思ったら、おかあさんより背が低くて不細工だったの」
母親は、「あら、そう」と、複雑な表情で娘に微笑んだ。秀樹は、人ごみが嫌いであった。しかし、人間観察ができるので、好きでもあった。ありきたりの情景や会話を意識的に見聞きしておくことが、広報記事を書くときに意外と役立ったりするからだ。
「ねぇ、本当に私たちってラッキーよね。大英展の取材に行って来いだなんて、係長も気が利くなぁ」
亜矢子は秀樹からカメラバッグを受け取り、スキップをするような足取りでエントランスに向かっていった。
「大英展なんて、この間、本場で見てきたばかりだから、俺は見なくてもいいと思っているんだけどな」
「あら、なんて罰当たりなことを言うのかしら。見たくてもなかなか見に行けない我が△△県民のために、わかりやすく紹介しようというのが私たちの使命なのよ。もっと熱意を持って仕事に当たらなくちゃだめじゃない」
「何言っているんだよ。お土産コーナーで、また性懲りもなく、ツタンカーメンの置物とかたくさん買い込もうって魂胆なんじゃねぇのか?」
図星を突かれて亜矢子は返事に窮した。
「ほら見ろ。俺の思った通りだ」
「だって、旅行中は時間がなくてあまり買えなかったんだもん」と言って、亜矢子はそそくさと会場内に入っていった。
「あまり買えなかったって、おまえなぁ、両手に荷物をぶら下げていた人間の言うこっちゃないよ」
そんなふうに亜矢子はごきげんだった。秀樹のいやみは少しも耳に入らない。秀樹は不機嫌だった。彼は、歩夢や麻衣が言っていたことがずっと気になっていた。亜矢子はモデルをしていた。成田で二人は初めて出会ったんじゃない。二人は互いに見知らぬもの同士のように振舞った。それは、おそらく交際していることを自分に気付かれたくなかったからだろう。
「ロンドンでも見たけどさあ、やっぱりこの猫、スラっとしていて、いいよね」
エジプトの猫に再会した亜矢子は興奮した声を出した。
「みなさん、申し訳ありませんが、撮影のため少しの間離れていてください」
秀樹は観客を整理し始めた。
「おい、仕事に来ているんだぞ」
「はーい」
博物館の職員にも手伝ってもらい、亜矢子は、エジプトの猫を何パターンか写した。
麻衣は使った食器をキッチンに運び、手早く洗い、髪を整えて出て行った。秀樹は外へ出て見送った。彼女は、血中アルコール濃度が高い状態でスポーツカーの窓から笑顔で手を振って、エンジンを轟かせた。秀樹は夏の星空をしばらく眺めていた。快楽と不吉な予感を同時に味わっていると、生暖かい風が皮膚に絡みついた。
取材
噴水が強い風にあおられて、池の周りに飛び散り、通行人が歓声を上げる。「暑い」、「暑い」と言いながら、混雑した中を人々が歩いている。大きな看板に、「大英博物館特別展示」と書いてある。ごった返す上野駅から、秀樹と亜矢子が歩いてきた。噴水の水が引っかかって、亜矢子は、「きゃあ」と叫んだ。白のブラウスに紺のスカート。水のかかった所だけ色が変わった。彼女はハンカチで拭きながら、足早に博物館の入場口に向かう。「じゃあ、私、取材の許可証をもらってくるね」と、亜矢子はうれしそうに言って、カメラバッグを秀樹に預けた。亜矢子が戻る間、秀樹は周囲の入場者たちを観察していた。
高校生ぐらいの女の子が母親に話しかけている。
「おかあさん、さっきさあ、おかあさんにそっくりな人がいたよ。おとうさんがさあ、話しかけようと思ったら、おかあさんより背が低くて不細工だったの」
母親は、「あら、そう」と、複雑な表情で娘に微笑んだ。秀樹は、人ごみが嫌いであった。しかし、人間観察ができるので、好きでもあった。ありきたりの情景や会話を意識的に見聞きしておくことが、広報記事を書くときに意外と役立ったりするからだ。
「ねぇ、本当に私たちってラッキーよね。大英展の取材に行って来いだなんて、係長も気が利くなぁ」
亜矢子は秀樹からカメラバッグを受け取り、スキップをするような足取りでエントランスに向かっていった。
「大英展なんて、この間、本場で見てきたばかりだから、俺は見なくてもいいと思っているんだけどな」
「あら、なんて罰当たりなことを言うのかしら。見たくてもなかなか見に行けない我が△△県民のために、わかりやすく紹介しようというのが私たちの使命なのよ。もっと熱意を持って仕事に当たらなくちゃだめじゃない」
「何言っているんだよ。お土産コーナーで、また性懲りもなく、ツタンカーメンの置物とかたくさん買い込もうって魂胆なんじゃねぇのか?」
図星を突かれて亜矢子は返事に窮した。
「ほら見ろ。俺の思った通りだ」
「だって、旅行中は時間がなくてあまり買えなかったんだもん」と言って、亜矢子はそそくさと会場内に入っていった。
「あまり買えなかったって、おまえなぁ、両手に荷物をぶら下げていた人間の言うこっちゃないよ」
そんなふうに亜矢子はごきげんだった。秀樹のいやみは少しも耳に入らない。秀樹は不機嫌だった。彼は、歩夢や麻衣が言っていたことがずっと気になっていた。亜矢子はモデルをしていた。成田で二人は初めて出会ったんじゃない。二人は互いに見知らぬもの同士のように振舞った。それは、おそらく交際していることを自分に気付かれたくなかったからだろう。
「ロンドンでも見たけどさあ、やっぱりこの猫、スラっとしていて、いいよね」
エジプトの猫に再会した亜矢子は興奮した声を出した。
「みなさん、申し訳ありませんが、撮影のため少しの間離れていてください」
秀樹は観客を整理し始めた。
「おい、仕事に来ているんだぞ」
「はーい」
博物館の職員にも手伝ってもらい、亜矢子は、エジプトの猫を何パターンか写した。