シナリオ

40
一通り撮影も終わり、今回の企画展の責任者にインタビューして、二人は少し遅い昼食をとった。近くの食堂でしばらく待たされて、やっと狭い席に着くと、テーブルの上にコップが二つ置かれた。秀樹は、カーキ色のブルゾンのポケットから携帯を取り出し、取材が終わって昼食をとったら帰る旨を係長に報告した。店内には、女性ジャズボーカリストの声が適度な音量で響いていた。
「どうかした?」
亜矢子の声がスピーカーから流れる音楽に乗って話されているかのように聞こえる。
「何が?」
秀樹の声もテンポに合わせて発せられているみたいだ。
「だって、今日の秀樹、すっごくいやなんだもん」
「別に、いつもと同じだよ」
客たちの話し声や食器を鳴らす音が絶え間なく聞こえてくる。
「いつもは取材していても楽しいけど、今日は何だか気分が滅入る」
「仕事に楽しいもつらいもないよ。気分でやるもんじゃないだろ」
「それはそうだけど、何か私のことで怒ってない?」
「なんでそんなことを考えるの? 俺、別にいつもと変わらないだろ?」
「変わるよ。だって、私の言うことぜんぜん聞いてなかったり、いい加減に流したりしてたよ」
「仕事なのに、はしゃいでるからさ」
「ううん、仕事の話も、よく聞いてなくて、私が言い直したり、秀樹がスタッフの人にききかえしたりしたことが多かった」
亜矢子は、秀樹の瞳を覗き込んだ。
「ねぇ、私、何かやっちゃったかな? 私のことで気を悪くしてない?」
ウェイターが注文を取りに来て、話は中断した。注文し終えると亜矢子はもう一度たずねた。
秀樹は、もやもやと胸につかえているのはいやだったので、単刀直入に言った。
「歩夢さんが亜矢ちゃんをモデルに写真を撮っていたと言った」麻衣から聞いたことは伏せておいた。
明らかに亜矢子の表情が変化していくのがわかった。亜矢子にとって触れて欲しくない話題だということがわかったが、歩夢との関係を自分に伏せようとしていたことがどうしても許せなくて、質問を畳み掛けた。
「歩夢さんが俺のアパートに来たよ。写真の上手な撮り方について熱心に説明して帰っていった。旅行の後にモデルになったとは考えにくいよな。知り合いだったらはじめから言えばいいじゃないかよ。なんで隠したりしたんだ? おまえが別れようとしている相手って、歩夢さんのことだろ?」
亜矢子は観念した。歩夢との関係をすべて明らかにしてしまおうと思った。それで秀樹が自分から離れていくのなら、所詮それだけの関係なのだ。どちらに転ぶかはわからなかったが、どちらに転んでもかまわない。そう思ったら胸が一つに決まった。
「彼とは別れるつもりなの。ごめんなさい。悪気はなかったのだけれど、言い出せなかったの。あなたと理解しあって、一緒になりたいと思っているのよ」
亜矢子は、精一杯の思いを目にこめてみた。秀樹は、長い間亜矢子を静かに見ていた。初めて訪れる駅の改札をくぐった人が、しばらくの間自分を取り巻いている環境を認識し、そして動き始めるように、彼は今おかれている立場について考え、それから口を動かした。女性ボーカルは、誰かに大事なことをささやきかけるように、やさしく声を響かせいた。
「なんであいつは俺の所に来る必要があったのだろう」
亜矢子は大きくかぶりを振った。
「私だってわからないわ。あの人とはしばらく会ってないもの」
「俺はどう判断すればいいのかまったくわからない。頭の中が混乱している。悪いけど、今日は、一人で帰らせてもらうよ。ごめんな」
秀樹はブルゾンのポケットに手を突っ込んだまま立ち上がると、くるっと背中を向けて行ってしまった。ウェイターが危うくぶつかるところだった。彼はテーブルに二人分の食事を並べた。今、席を立った男については、トイレに立ったのだろうとしか思わなかった。
秀樹はレジでクレジット・カードを出して、勘定を済ませた。せみがやかましくわめく通りに出て、暑さに対して毒づきながら駅に向かった。
「どうかした?」
亜矢子の声がスピーカーから流れる音楽に乗って話されているかのように聞こえる。
「何が?」
秀樹の声もテンポに合わせて発せられているみたいだ。
「だって、今日の秀樹、すっごくいやなんだもん」
「別に、いつもと同じだよ」
客たちの話し声や食器を鳴らす音が絶え間なく聞こえてくる。
「いつもは取材していても楽しいけど、今日は何だか気分が滅入る」
「仕事に楽しいもつらいもないよ。気分でやるもんじゃないだろ」
「それはそうだけど、何か私のことで怒ってない?」
「なんでそんなことを考えるの? 俺、別にいつもと変わらないだろ?」
「変わるよ。だって、私の言うことぜんぜん聞いてなかったり、いい加減に流したりしてたよ」
「仕事なのに、はしゃいでるからさ」
「ううん、仕事の話も、よく聞いてなくて、私が言い直したり、秀樹がスタッフの人にききかえしたりしたことが多かった」
亜矢子は、秀樹の瞳を覗き込んだ。
「ねぇ、私、何かやっちゃったかな? 私のことで気を悪くしてない?」
ウェイターが注文を取りに来て、話は中断した。注文し終えると亜矢子はもう一度たずねた。
秀樹は、もやもやと胸につかえているのはいやだったので、単刀直入に言った。
「歩夢さんが亜矢ちゃんをモデルに写真を撮っていたと言った」麻衣から聞いたことは伏せておいた。
明らかに亜矢子の表情が変化していくのがわかった。亜矢子にとって触れて欲しくない話題だということがわかったが、歩夢との関係を自分に伏せようとしていたことがどうしても許せなくて、質問を畳み掛けた。
「歩夢さんが俺のアパートに来たよ。写真の上手な撮り方について熱心に説明して帰っていった。旅行の後にモデルになったとは考えにくいよな。知り合いだったらはじめから言えばいいじゃないかよ。なんで隠したりしたんだ? おまえが別れようとしている相手って、歩夢さんのことだろ?」
亜矢子は観念した。歩夢との関係をすべて明らかにしてしまおうと思った。それで秀樹が自分から離れていくのなら、所詮それだけの関係なのだ。どちらに転ぶかはわからなかったが、どちらに転んでもかまわない。そう思ったら胸が一つに決まった。
「彼とは別れるつもりなの。ごめんなさい。悪気はなかったのだけれど、言い出せなかったの。あなたと理解しあって、一緒になりたいと思っているのよ」
亜矢子は、精一杯の思いを目にこめてみた。秀樹は、長い間亜矢子を静かに見ていた。初めて訪れる駅の改札をくぐった人が、しばらくの間自分を取り巻いている環境を認識し、そして動き始めるように、彼は今おかれている立場について考え、それから口を動かした。女性ボーカルは、誰かに大事なことをささやきかけるように、やさしく声を響かせいた。
「なんであいつは俺の所に来る必要があったのだろう」
亜矢子は大きくかぶりを振った。
「私だってわからないわ。あの人とはしばらく会ってないもの」
「俺はどう判断すればいいのかまったくわからない。頭の中が混乱している。悪いけど、今日は、一人で帰らせてもらうよ。ごめんな」
秀樹はブルゾンのポケットに手を突っ込んだまま立ち上がると、くるっと背中を向けて行ってしまった。ウェイターが危うくぶつかるところだった。彼はテーブルに二人分の食事を並べた。今、席を立った男については、トイレに立ったのだろうとしか思わなかった。
秀樹はレジでクレジット・カードを出して、勘定を済ませた。せみがやかましくわめく通りに出て、暑さに対して毒づきながら駅に向かった。