シナリオ

飛行機
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43

 ウェイターがやってきた。パスタ料理を並べた。二人はフォークとスプーンを手に取り、ゆっくりと食べ始めた。
 秀樹は、自分の信じているものだけがこの世界のすべてではないのかもしれないという気がしてきた。超常現象を語る者は全部いかがわしい人間だと思っていたが、亜矢子がいかがわしい人間だとはとても思えない。彼はもっとじっくり亜矢子の話を聞いてみてもいいという気分になっていた。この世界にはまだまだ自分が理解しなければならないことがたくさんあるのではないだろうか。
 「すいません」と、秀樹は店員を呼んだ。亜矢子と酒を飲みたい気分になってきたのである。
 ウェイトレスが返事をして歩いてきた。
 「ワインをください」
 「赤ですか? 白ですか?」
 「白を。それとグラスを二つ」
 亜矢子が喜んだ。
 「久しぶりね。二人でゆっくりお酒を飲むのなんて。ねぇ、秀樹。そうしたら、次は違うお店で飲もうよ」
 「お、いいね。たまにはマッカランに行ってみるか?」
 マッカランは、職場の飲み会の二次会で皆がなんとなく寄りつく店だった。秀樹と亜矢子の二人で行ったことはなかったが、二人ともマスターと顔なじみになるほどには常連であった。
 「いいわね。そうしましょう」
 ウェイトレスが来て、彼らの前にグラスを置き、ワインクーラーから取りだした壜に白い布をあてがって、丁寧についだ。
 「おじいさんがね、『おまえはほかの人間とはちょっと変わってるんだ』と言うの」
 「それは、俺も思うよ」秀樹は笑った。
 「笑い事じゃないのよ。おじいさんが言うには、私は同じような人間としか一緒になっちゃだめだって」
 「俺のことはなんて言っているんだ?」
 秀樹の質問には答えないで、彼女は話を進めた。
 「私が大学生のとき、友達に付き合って、ファッション雑誌のモデルをやったことがあるの。彼女はアルバイトでモデルをしていたのね。私も彼女の付き合いから何度かそのアルバイトをしたわ。あるとき、さえない風貌のカメラマンがやってきた。その人が、歩夢だったの。彼には才能があるかもしれないけど、経済観念が発達していないから、いつも青息吐息よ。そんな男を、おじいさんが選んだのよ。この世で彼以外には私を幸せにしてくれる人間はいないんだって」
 「そんな馬鹿げた話を真に受けているのか?」
 「はじめは馬鹿馬鹿しいと思ったわ。だけど、彼の守護霊がとても強いの。私は彼の守護霊に征服されてしまったの」
 亜矢子の体から力が抜けていったように、秀樹には思えた。声も張りがなくなり、目の力も衰えていった。
 「私は運命だと自分に言いきかせようとした。おじいさんが言うのなら仕方がない。それに彼の守護霊にはまったくたちうちできない。そうやって何年か過ぎて、私は耐えきれなくなってしまったの。私は、何度彼と別れようと思ったかわからない」
 亜矢子の目から涙があふれてきた。この数日間こらえてきた気持ちを一気に開放したのだ。
 秀樹は亜矢子のことが気の毒になった。彼女は、何らかの呪縛を受けて、一人の男の言いなりにならざるをえなかったのだ。彼女は、真面目で情にもろいから、歩夢から離れられなかったのだ。彼女が受けた呪縛は、彼女が言う通り、守護霊のしわざであるのかもしれない。しかし、そんなことは彼には信じられなかった。
 「守護霊のせいで好きでもない人間と一緒に暮らすようになったなんて、悪いけど俺には信じられないよ」
 「当然よ。私だって信じてもらおうとは思ってないわ。でも、私の抱えている苦しみは本物なのよ。それだけはわかってほしいの。いいのよ。彼との関係を知ったあなたが、私から離れていっても仕方ないことよ」
 秀樹は何とも言葉のかけようがなかった。コーヒーも飲み終わっていた。
 「マッカランに行ってみないか」
 「ええ」
 二人は、暑い夜の街を歩いた。車が三台停まっていた。ポロとアルテッツァ・ジーマとフィット。フィットから男女が出てきた。男は女に何か言っていた。どうも女は機嫌が悪いようだった。秀樹は暑くて、気分も面白くなかったので、その男女に嫌悪感を抱いた。なぜ、男と女はうまくいかないのだろうか? うまくいったためしなんか、きっとないのだろう。うまくいかないままに、死ぬまで顔をつき合わせているのだろう。彼は亜矢子の過去が気に入らなかった。しかし、彼女が自分を求めていることはよくわかっていた。自分はどうなのだろうか? しかし、その問題はもう少しあいまいにしておきたかった。程よく時間が経てば、解きほぐれていくかもしれない。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日