シナリオ

44
祖母の話
ドアが音を立てる。秀樹が中に入ると、若いマスターが、グラスを磨いていた。
「いらっしゃい」
よく磨かれたカウンターが、ライトで美しく輝いていた。天井のスピーカーから聞こえる、サザンオールスターズの『真夏の果実』が、どこか遠い天空から降り注いでいるみたいだった。
マイナス100度の太陽みたいに
身体を湿らす恋をして
「マスター、こんばんは。亜矢子ですよ」
「どうも、お久しぶりです」
人のよさそうなマスターは、グラスを拭き終わり、シャカシャカとカクテルをつくりながら、挨拶をした。秀樹も声をかける。マスターが微笑む。
「なんにしますか?」
「オールドブルトニー。ダブルでね」
「私は、ホワイトレディ」
「かしこまりました」
曲は、『涙のキッス』に変わっていた。
「マスター、サザン、好きだねぇ」
「ええ、大好きなんですよ」
マスターは、決して熱く語ったりはしない。サザンの曲も、店の雰囲気に合うような、ロマンティックだが、激しすぎず、ムードのあるものだけが選曲されていた。そして、ポップスやジャズと上手に織り交ぜながらスピーカーから流し、客たちの気分を変に散らさないように配慮しているようだった。
マスターは、いつ来てもクールな横顔で、うまい酒を出してくれる。いつもクールだ。自分はいつもクールではいられない。秀樹はマスターの鮮やかな手つきを十五秒ほど見ていた。
二人は、奥のボックス席に入った。亜矢子は席につくやいなや、口を開いた。
「私ね、おばあさん子だったの」
「わかるような気がするよ」
「本当?」
秀樹は、窓際のフィギュアを見た。60年代のアメリカのものだ。サイケデリックで、不思議と懐かしい。
「それでね。おばあさんは、とてもやさしくて、物知りだったの。その辺の原っぱに生えている植物とか、よく知っているのよ。ふきのとうをとりに連れて行ってくれたよ。おばあさんとの秘密はたくさんあるんだ」
「へえ、それ、教えてほしいな」
「だめ、約束したの。誰にも話してはいけないって」
「なんだよ。けち」
秀樹は、また窓際のフィギュアを見た。
「おばあさんも守護霊を持っていたの。家族では他にはいないのよ。だから、余計におばあさんとは親密になっていったんだわ。おばあさんは、守護霊の導きによって、おじいさんと一緒になったんだって。わたしと一緒になる男の人も、私の守護霊が導いてくれる、と教えてくれたの。それが、歩夢なのよ」
「それを、おまえが信じるのなら、それでいいじゃないか」
「だけど、私は歩夢が嫌いなの。おばあさんは、おじいさんのことを好きだったからいいけど、私はあんな男と一生暮らしていくのは、絶対にいや。私は、広報課に配属になって以来秀樹のことがずっと好きだった。守護霊が認めてくれなくてもかまわないわ」
稲妻が体中を駆け巡った。「亜矢子はそんなに以前から俺のことを思っていてくれたのか」頭の中で三回そうつぶやいた。
マスターが飲み物を運んできた。丁寧に置いて、静かに立ち去った。ダブルのオールドブルトニーに、亜矢子が、氷と水を入れて、秀樹に渡した。