シナリオ

49
それから長い時間、静かに走り続けた。会話は盛り上がらなかった。音楽とエンジン音と車外の騒音だけが続いていた。そのうちに日が暮れてきた。県境を越えてだいぶ経ったころ、秀樹は車幅灯をつけた。歩夢が腹を減らしていないか、気遣った。歩夢を誘うと初めは断ったが、結局秀樹に押し切られファミレスに入った。家族連れや若者でごった返している。喧騒といろいろな食べ物の匂いが混ざり合った中で会話に火が付いた。
「ところで、さっき話していたことですけど」
ウェイトレスがオーダーを取った後に、秀樹はそう切り出した。
「歩夢さんは休みの日はどんなことをしているんですか?」
秀樹は、歩夢が訪問してすぐに話していたことがまだ気になっていた。秀樹は自分のためよりも、ほんの少しだけほかの人のために役立つような生き方をしたいと考えている。そういう生き方は、年を取れば取るほど楽しく充実感のあるものをもたらしてくれると考えていたからだ。目の前にいる男はそれを否定した。しかし、彼の言うように、その時その時を楽しめばいいという生き方はそれほどよいだろうか。とても気になるのだった。
「ひたすらぼうっとしているだけですよ」
歩夢はつまらなそうにそれだけいった。
「どこかへいったり、だれかと遊んだりしないのですか」
「僕はとにかく一人でいることが好きなんです。他人と一緒にいるのは本当に疲れるんですよ」
「そうですか。俺はいろいろな人たちと交流して生きていきたいと思ってますけどね」
「僕はごめんですね。人間とはなるべく関わらずに生きていきたい。今はそれが可能な世の中じゃないですか。店に行かなくてもあらゆるものが買える。インターネットで何でも調べられるし、経験を積むことだってできる。どうしても人を介さなければできないこと以外は一人でやる方が気楽ですよ」
「でも仕事はそういうわけにはいかないだろう」
「もちろんそれは別ですよ」
「でも、偉いなぁ。もう自分の生き方というものが確立しているんですね。俺なんかはだめですよ。いつも生き方を探しているんです。この方法がベストだ。そんなふうに自分の気持ちが固く決まることがあるんです。そしてしばらくの間そうやって生きていく。得意になって。颯爽となって。ところが、そのうちに壁にぶつかる。あるいは強い影響を受ける。そこで自分の気持ちが大きく揺らぐ。一年のうちに二、三度はそういう時期が到来する。そのたびに自分の生き方が少しずつ変わってしまうんですよ。その時に思うんです。一体自分のように信念の変わりやすい者があるだろうかと。何だか自分がとても情けない者に思えてきます。歩夢さん、こんな生き方をどう思う? 自己が確立されていない未熟なやつだと思うでしょう? 俺は、アイデンティティが確立されていないんですよ」
「僕だってアイデンティティが確立しているなんてことはないですよ。ただ自分勝手に生きているだけですからね」
「この男はいちいち言うことがおおげさだなぁ」と、半ばあきれながら歩夢は返事をした。
「それに、あなたはかなり立派ですよ。他人と交流して生きていければ、やっぱりそれが一番幸せなんだと思いますよ。あと、自分の生き方が他の人の影響によって変化するっていうことは、いくつになってもあるんじゃないんですかね」
「歩夢さんにもあるの?」
「それはありますよ。当たり前じゃないですか」
「へぇー、歩夢さんって落ち着いていてクールだから、誰にも影響されない人かと思った」
「そんなことはないですよ。僕はいつも胸騒ぎでいっぱいです」
「でもそう見えないなぁ。なんかこうね、裕福な家庭で申し分なく育って、順調な人生を送ってきたっていう印象があるんですよね」
歩夢はうつむいて薄笑いを浮かべた。
「どうしたんですか? 俺、何か変なことを言いましたか?」
歩夢は顔を上げて、にっこり笑った。
「いや、よくそう言われるので、おかしくって。実際はその正反対なんですよ。僕の少年時代は地獄のようだった。親父もお袋も怠け者で、他人の面倒なんか見られないんですよ。僕は放っておかれていた。親父はいつもパチンコ通い。お袋は男に目がない。僕は冷蔵庫に干からびている野菜とか残り物を食べて育った。親の愛に抱かれて子どもは育つ。人格者らしき人たちがテレビや学校で僕たちによく語っていたけれど、僕にはまったく理解できなかったし、信じられなかった。親父は僕に何も教えてくれなかった。よく殴られた。その痛みだけを教わった。お袋はいつも「ギャー、ギャー」わめき立てた。「学校は金がかかってしょうがない」とか、「子どもがいると食費がかかって生活費が全然足りない」とか、僕にはおよそ責任のないことで僕に腹を立てていた。僕は小さいころは明るく、社交的な子どもだったんだ。六歳まではじいちゃんの家に同居していたから、生活が楽だった。だから、親父たちもまだ優しかったんだ。でも、そのあとひどい家庭環境で毎日を過ごすうちに、感情を出せなくなっていった。同時に表情も失った。「施設にやっちゃうか」とか、「一家心中するか」とか、本気で子どもの前で言うんだよ。本当に生きた心地がしなかった。それでも、どうにか高校生になることができた。僕はいつからか現実から目をそむけるようになった。超自然的な力にすがるようになった。それがなぜか僕に運を開かせた。行き詰ったときに祈ると必ず打開策が生まれるんだ。僕が現実から目をそむけて、ひたすら勉強に打ち込んだせいかもしれないけど、僕は優秀な生徒だということで、高校は授業料免除で通いとおした。大学も特別奨学生として迎えられ、自分でいうのもなんだけど優秀な成績で卒業できた。一流の出版社のフォトグラファーになり、奨学金も数年で返した。だけど、そのうちにそんなに懸命になって生きるのが馬鹿らしく思えてきたんです。そう思ったらすべてが少しずつ狂っていきました。もともと親に根底力を育ててもらってないから、もろいんです。今は生きがいを見出せないんです。だから、秀樹さんの話を聞いて、うらやましくなりました。あなたは生きがいを持っているから、輝いているように見えますよ」
歩夢は一旦話に夢中になると、他のことは手がつかないようだった。秀樹はほとんど食事を終えようとしているのに、歩夢はそれぞれの皿に少しずつ手をつけただけだった。そのことに気づいて彼は恥ずかしそうにした。そして残りを急いで食べた。
「ところで、さっき話していたことですけど」
ウェイトレスがオーダーを取った後に、秀樹はそう切り出した。
「歩夢さんは休みの日はどんなことをしているんですか?」
秀樹は、歩夢が訪問してすぐに話していたことがまだ気になっていた。秀樹は自分のためよりも、ほんの少しだけほかの人のために役立つような生き方をしたいと考えている。そういう生き方は、年を取れば取るほど楽しく充実感のあるものをもたらしてくれると考えていたからだ。目の前にいる男はそれを否定した。しかし、彼の言うように、その時その時を楽しめばいいという生き方はそれほどよいだろうか。とても気になるのだった。
「ひたすらぼうっとしているだけですよ」
歩夢はつまらなそうにそれだけいった。
「どこかへいったり、だれかと遊んだりしないのですか」
「僕はとにかく一人でいることが好きなんです。他人と一緒にいるのは本当に疲れるんですよ」
「そうですか。俺はいろいろな人たちと交流して生きていきたいと思ってますけどね」
「僕はごめんですね。人間とはなるべく関わらずに生きていきたい。今はそれが可能な世の中じゃないですか。店に行かなくてもあらゆるものが買える。インターネットで何でも調べられるし、経験を積むことだってできる。どうしても人を介さなければできないこと以外は一人でやる方が気楽ですよ」
「でも仕事はそういうわけにはいかないだろう」
「もちろんそれは別ですよ」
「でも、偉いなぁ。もう自分の生き方というものが確立しているんですね。俺なんかはだめですよ。いつも生き方を探しているんです。この方法がベストだ。そんなふうに自分の気持ちが固く決まることがあるんです。そしてしばらくの間そうやって生きていく。得意になって。颯爽となって。ところが、そのうちに壁にぶつかる。あるいは強い影響を受ける。そこで自分の気持ちが大きく揺らぐ。一年のうちに二、三度はそういう時期が到来する。そのたびに自分の生き方が少しずつ変わってしまうんですよ。その時に思うんです。一体自分のように信念の変わりやすい者があるだろうかと。何だか自分がとても情けない者に思えてきます。歩夢さん、こんな生き方をどう思う? 自己が確立されていない未熟なやつだと思うでしょう? 俺は、アイデンティティが確立されていないんですよ」
「僕だってアイデンティティが確立しているなんてことはないですよ。ただ自分勝手に生きているだけですからね」
「この男はいちいち言うことがおおげさだなぁ」と、半ばあきれながら歩夢は返事をした。
「それに、あなたはかなり立派ですよ。他人と交流して生きていければ、やっぱりそれが一番幸せなんだと思いますよ。あと、自分の生き方が他の人の影響によって変化するっていうことは、いくつになってもあるんじゃないんですかね」
「歩夢さんにもあるの?」
「それはありますよ。当たり前じゃないですか」
「へぇー、歩夢さんって落ち着いていてクールだから、誰にも影響されない人かと思った」
「そんなことはないですよ。僕はいつも胸騒ぎでいっぱいです」
「でもそう見えないなぁ。なんかこうね、裕福な家庭で申し分なく育って、順調な人生を送ってきたっていう印象があるんですよね」
歩夢はうつむいて薄笑いを浮かべた。
「どうしたんですか? 俺、何か変なことを言いましたか?」
歩夢は顔を上げて、にっこり笑った。
「いや、よくそう言われるので、おかしくって。実際はその正反対なんですよ。僕の少年時代は地獄のようだった。親父もお袋も怠け者で、他人の面倒なんか見られないんですよ。僕は放っておかれていた。親父はいつもパチンコ通い。お袋は男に目がない。僕は冷蔵庫に干からびている野菜とか残り物を食べて育った。親の愛に抱かれて子どもは育つ。人格者らしき人たちがテレビや学校で僕たちによく語っていたけれど、僕にはまったく理解できなかったし、信じられなかった。親父は僕に何も教えてくれなかった。よく殴られた。その痛みだけを教わった。お袋はいつも「ギャー、ギャー」わめき立てた。「学校は金がかかってしょうがない」とか、「子どもがいると食費がかかって生活費が全然足りない」とか、僕にはおよそ責任のないことで僕に腹を立てていた。僕は小さいころは明るく、社交的な子どもだったんだ。六歳まではじいちゃんの家に同居していたから、生活が楽だった。だから、親父たちもまだ優しかったんだ。でも、そのあとひどい家庭環境で毎日を過ごすうちに、感情を出せなくなっていった。同時に表情も失った。「施設にやっちゃうか」とか、「一家心中するか」とか、本気で子どもの前で言うんだよ。本当に生きた心地がしなかった。それでも、どうにか高校生になることができた。僕はいつからか現実から目をそむけるようになった。超自然的な力にすがるようになった。それがなぜか僕に運を開かせた。行き詰ったときに祈ると必ず打開策が生まれるんだ。僕が現実から目をそむけて、ひたすら勉強に打ち込んだせいかもしれないけど、僕は優秀な生徒だということで、高校は授業料免除で通いとおした。大学も特別奨学生として迎えられ、自分でいうのもなんだけど優秀な成績で卒業できた。一流の出版社のフォトグラファーになり、奨学金も数年で返した。だけど、そのうちにそんなに懸命になって生きるのが馬鹿らしく思えてきたんです。そう思ったらすべてが少しずつ狂っていきました。もともと親に根底力を育ててもらってないから、もろいんです。今は生きがいを見出せないんです。だから、秀樹さんの話を聞いて、うらやましくなりました。あなたは生きがいを持っているから、輝いているように見えますよ」
歩夢は一旦話に夢中になると、他のことは手がつかないようだった。秀樹はほとんど食事を終えようとしているのに、歩夢はそれぞれの皿に少しずつ手をつけただけだった。そのことに気づいて彼は恥ずかしそうにした。そして残りを急いで食べた。