シナリオ

飛行機
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58

 「よしわかった。そこまで言うなら受け取ろう」
 栄治は秀樹には当たりが柔らかい。ところが、部下への口調の厳しさは、秀樹がドキッとするほどだった。
 「すぐ確かめろ」
 頬に傷のある大男は、「はい」と短く返事をし、深々と頭を下げて、テーブルにある封筒を手に取った。そして、まるで銀行員のように手際よく札束を数えていった。数え終わるともう一度同じことを繰り返した。その途中で、細くて脚と髪の長い清楚な若い女が、アイスコーヒーを運んできた。腰や腿に吸いつくようなタイトスカートが、グラスを置くときに少し上がった。コーヒーを半分ほど飲んだとき、例の男は金を数え終わった。
 「ボス、ぴったりあります」
 「書類を渡せ」
 「はい」
 男は秀樹に書類を渡した。
 秀樹は書類を注意深く読んだ。一枚は領収書、もう一枚は歩夢が栄治に対して負っている債務を完済したことを証明するものだった。もう一枚、「金銭消費貸借譲渡担保権設定契約書」と書かれているものもあった。いついつまでに債務を返済できなかったら亜矢子を譲渡するというものだ。人間を担保にするなんて、こんなもの、法律的に成立するはずがない。秀樹は頭に血が上ったが、相手はまともな議論の通じる相手ではないので、黙っていた。譲渡契約書には、栄治の言ったとおり、歩夢の署名も捺印もまだない。
 「よぉ、俺は契約で人を騙したりするようなことはしねぇよ。そんなにびくびくした顔で見なくてもいいぜ」
 栄治は栄治で、秀樹の顔色をうかがっていた。弁が立つし、県庁の職員だから法律に詳しそうだし、手が早いからだ。まさかごつい男たちがいるこの事務所で拳を振りかざす真似はしないだろうが、イタリアで浴びた鉄拳を思い出して、少し気が弱くなった。栄治は、譲渡契約書を手に取ると、秀樹の目の前で四つに引き裂き、さらにシュレッダーで裁断した。
 「じゃあ、歩夢に会わせるから、こっちへ来てくれ」
 大きな男が丁重な態度でドアを開けた。栄治が先に歩いた。秀樹は奥にこわごわと進んだ。男がすぐ後をついた。
 栄治は清潔感の漂う階段をゆっくり歩いていった。秀樹もそれに従った。二階はほぼ全体が一室になっていた。栄治がドアを開けて待っている。秀樹は先に入らせてもらった。かなり大きな会議室だった。割ときれいに事務机が並べられ、花や絵なども品よく飾られている。歩夢は隅の椅子に縛られていた。
 「歩夢さん」
 秀樹が呼び掛けると歩夢は顔を上げた。見るからに情けない顔をしていた。
 「秀樹さん、来てくれたんですか」
 栄治は歩夢を見下ろした。
 「おまえ、よかったな。秀樹がおまえの金を全部返済してくれたぞ。譲渡契約書も秀樹の目の前で破棄した。俺みたいな人間が言うこっちゃねえが、これを機会に生まれ変わって、少しはまともに生きていけよ」
 まったく暴力団の人間から、教師か親がするような説教をされてどうするんだよと、秀樹は嘆いた。
 「歩夢さん、これが証明書だ。もう、帰れるよ」
 歩夢は秀樹の顔と債務完済証明書を見比べ、心から驚いた。
 「秀樹さん、なんで俺なんかのために」
 秀樹は歩夢の顔をじっと見た。
 「歩夢さん、その代わりと言っちゃなんなんだけど、もう亜矢子には近づかないって誓約してほしいんだ」
 「それはできないよ。秀樹さんには悪いんだけど、あいつは、俺がいなかったら生きていけないんだよ」
 栄治の手下に縄を解いてもらっている間、歩夢は興奮して話しはじめた。
 「秀樹さんはいい人だと思うし、亜矢子を幸せにしてくれると思うんだけど、僕以外の人間じゃあ、どうしても彼女にしてあげることができないことが一つだけあるんだよ。そして、それは、彼女の生命の根幹にかかわるような重大なことなんだ」
 縄が解かれ自由になった歩夢は、手ぶりも加えて力説した。秀樹はスチール椅子を引き寄せて座り、歩夢と向かい合いになった。
 「守護霊のことかい?」
 「亜矢子、話したんだね」
 秀樹は黙ってうなずいた。
 「君は信じてないだろ。こんなバカげたことをいい大人が、と思っているだろ」
 秀樹はじっと歩夢の目を見て、落ちついた声で質問した。
 「君たちは知り合った後、いつごろ、どんなきっかけでそんな話をするようになったんだい?」
 歩夢はしばらく考えていたが、やがてぽつりぽつりと話しはじめた。
 「ある広告の仕事で、スタジオに行ったら彼女がいた。僕は一目で彼女に特別なものを感じた。彼女はまったく僕のことに注意を払っていなかった。あるとき、みんなで昼飯を食べに行ったら、たまたま彼女と隣同士になった。僕は、超常現象とか心霊現象に興味を持っているということを、何かのきっかけで話したんだと思う。それから、彼女とよく話をするようになった。お互いに守護霊を信じていた。僕の守護霊がどうやら君を今まで守っていたみたいだと教えたら、彼女は驚いていた。その内に彼女も、自分の守護霊から僕と離れてはいけないと言われたと、僕に話した。かいつまんで話すと、ざっとそんなところだよ。わかってもらえたかな? 君みたいな常人には理解できないかもしれないけど、僕たちはそんなふうに、特別な能力で強く結ばれているんだ。僕たちを引き離そうとしても無駄だよ」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日