シナリオ

62
亜矢子の反撃
「ギー。」ドアをゆっくり開けて、亜矢子が入ってきた。シャープな色合いのパンツに、ゆったりとした白いブラウスをまとっていた。ベージュや水色のプラスチックを輪にしたネックレスが、涼しそうに見える。しかし、表情は曇り気味だ。
亜矢子はつかつかと奥に進んだ。一足ごとに、魔物たちはますます騒ぎ立てた。栄治の手下どももいつのまにか化物に変わっていた。ライオンや恐竜や鬼の顔で咆哮していた。歩夢の作り出した幻影だとは思っていても、目の前に突然恐ろしい形相が現れると、さすがの亜矢子も身を引いた。
あと少しで秀樹の間近に迫ろうというとき、化物たちが立ちふさがった。二人は向かい合ったまま、それ以上近寄れなかった。秀樹の膝にできたファニーフェイスは、猫が背伸びをするようにして、「フー」と威嚇した。
二人の間に、さめに化けた栄治が立ちはだかった。真っ赤な口を大きく開けて、雷のような声で訴えた。
「亜矢子、なぜ俺から離れようとするのだ?」
耳が慣れてきたせいか、秀樹にもすっかり声の主が歩夢であると判別できた。さめに化けた栄治の口を借りて、歩夢が恨み言を言っているのだ。
亜矢子は歩夢にすっかり圧倒されているように見えた。
「おまえは俺から離れることはできない。俺なしで、一体どうやってこれからやっていくつもりなんだ。その男は俺とおまえしか持っていない力を持っていない。どうだ、わかったか。自分の置かれている現実をよく見てみることだな。そうすれば、自分が誤っていたことが理解できるだろう」
亜矢子の気配が弱くなっていった。いつもの亜矢子ではない。
秀樹はもどかしくなった。押し出しで負けてはいけないのだ。それを亜矢子にどうしても言ってやらないとだめだと思った。
「亜矢子、なんで言われっぱなしになっているんだよ。言い返してやれよ。歩夢のことがそんなに恐いのか? それと、歩夢さんよ、卑怯じゃないか。言いたいことがあるのなら、栄治の口を借りないで、ここへ来て自分で言ったらどうなんだ」
秀樹は自分の腕を何者かがつかむのを感じた。さすがに、ひやっとして振り向くと、麻衣がまっすぐ自分を見ているのに気づいた。
「違うみたい。亜矢子さんは言い返せないんじゃないのよ。その反対よ。気力を集中させているみたい。戦おうとしているのよ。この戦いは常識ではとらえられない。精神世界の戦いなのよ。ほら、私たちの目には、歩夢はあんなにぐったりしているように見えるけど、精神はフル稼働しているでしょ。きっと亜矢子さんの精神世界からも何かすごいものが現れてくるわよ」
麻衣が倉庫の奥の方に、目を凝らすようにした。秀樹もそうした。
黒光りのする何者かがかすかに見える。それがゆっくり歩くたびに金属音がする。
「ガチャリ、ガチャリ」
それも一人や二人ではない。大勢だ。どうしてこんな会議室に、これほどの群衆が入れるのだろうかと不思議に思うほどだ。
「あれは、戦国時代の武士じゃないか?」
「そうね。亜矢子さんの持っている戦いのイメージなんでしょうね」
上方に一面の星空が現れた。
「ボッ」
ものすごい音がして、一面にたいまつがともった。平原をどこまでも武士が埋め尽くしている。掛け声とともに、一斉に矢が放たれた。化け物たちはたちまち射抜かれた。栄治と手下たちはその場に倒れこんだ。
「亜矢子、すごいぞ!」
亜矢子はトランス状態に置かれていて、何も聞こえないようだった。
「だめよ、今は何を言っても返事をしないわ。全力で歩夢の精神力と戦っているのよ」
反対側から、山のような大部隊が近づいてきた。やはり戦国の武士であるが、なんと鉄砲部隊である。
「構え」
号令とともに、何千もの鉄砲隊が敵方に狙いを定めた。
「うわあー」
秀樹はあわてて、亜矢子を抱えてその場を離れた。麻衣も手伝い、できるだけ前線から遠ざかった。あくまでもイメージにすぎないのだから、弾丸が直撃しても平気なはずだが、臨場感がありすぎて逃げないではいられない。
たちまちのうちに亜矢子の軍勢が崩れだした。亜矢子自身も苦しそうにしている。しばらくもだえていると思ったら、いつもよりも高い声で語り始めた。
「やっぱりだめだわ。彼には勝てない。おじいさんの言っている通りだわ。私の力では無理なのよ」
ここへ来てから初めて聞く亜矢子の声だった。
「よお、亜矢子、大丈夫か。しっかりしろよ」
麻衣が制止した。
「だめよ。亜矢子は普通の状態ではないの。神がかり的な状態になっているから、何を言っても聞こえないわ」
「そんなことを言っている場合じゃないだろ。亜矢子は何かに飲まれてしまいそうだよ」