シナリオ

飛行機
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63

 確かに亜矢子の様子はおかしかった。そのまま放っておくと危なそうである。体を小刻みに震わせ、汗をだらだら流している。顔はひどく青ざめ、呼吸が荒い。身もだえしながら、何者かに必死に抵抗しているように見える。
 業を煮やして秀樹は亜矢子の体を揺さぶった。
 「亜矢子、亜矢子」
 何度も繰り返して呼び続けていると、うっすらと目を開けた。すかさず秀樹が強く呼ぶと、亜矢子ははっきりと目覚めた。
 「あれ、ここはどこ?」
 亜矢子は首を右に左に回して、自分の置かれた状況を確かめようとしていた。秀樹を見た。麻衣を見た。また秀樹を見た。
 「麻衣さんから電話があって、新幹線で飛んできて、それからあの人と戦ったのよ」と、彼女は記憶をたどっていった。「そうなのよ。戦ったけど、私はあの人には勝てないのだわ」
 「そう思い込んでいるだけだよ。だから、自分の力を出し切ろうとしないんだ。しかし、その考えから抜け出さないと、永久に彼に隷属して生きなければならないぞ。それがいやで、変えようと思ったんじゃなかったのか?」
 亜矢子は考え込んだ。そして伏目がちに言った。
 「それはそうだけど、おじいさんが言うのよ」
 「おじいさん?」
 「そう。前に話したと思うけど、私の守護霊よ。おじいさんは、あの人の守護霊の方がはるかに強い力を持っているから、逆らわないようにしなさいって、私に忠告したのよ」
 「じゃあ、逆らわないで現状に妥協するのか? 亜矢子、それでいいのか? 俺と一緒に暮らさないのか?」
 「私だってそれを望んでいるわ。でも、あの人に勝てるはずないもの」
 鉄砲隊が弾を込めている間に、歩夢の別の軍勢が一斉に征矢を射掛けた。大きく崩れ始めた亜矢子の軍勢は、征矢をまともに浴びて、次々に倒れていった。
 彼らの足元のリノリウム張りの床に、鋭い音とともに矢が突き刺さった。
 「わあー!」と、麻衣が叫んだ。
 床に突き刺さった矢を、じっと見つめていた秀樹は、亜矢子に振り向いた。
 「じゃあ、俺が戦うよ。そのなんとかって器械を着ければ、イメージしたことが映像化されて、その辺に出てくるんだろ。俺だって、真剣に集中すれば、少しはやれるだろう。貸してみろ」
 亜矢子はかぶりを振った。
 「無理だよ。それに、慣れていない人がやると、危険なの」
 「うるせぇ。おまえができないって言うから、代わってやってやるって言ってるんじゃねぇか。ぐずぐず言うのはいい加減にしてくれ」
 秀樹の真剣な顔をしばらく眺めていた亜矢子は、決心を固めてヘッドセットのようなものを手渡した。
 「作ろうとしないで、本当にあるものを眺めるつもりで、やってみて」
 「本当にあるものを眺めるつもりでか。なるほど」と、ヘッドセットを装着しながら秀樹は言った。
 秀樹は顔を伏せて、歩夢に対する憎しみの情を凝縮させた。
 軍勢に変化が起こった。脇からおびただしい騎馬部隊が現れ、矢をつがえたのだ。
 「わあ、すごい。秀樹、すごい」と、麻衣が目を輝かせて言った。
 横目でその様子を見ている亜矢子は、秀樹の生み出した武士団を、期待のこもっていないまなざしで見た。
 「あれ、なんか少し変な感じね。ぼやけてるのかな?」
 麻衣が首をかしげていると、亜矢子が冷ややかな声で説明した。
 「しっかり念じることができないと、リアリティーが出ないのよ。リアリティーが出なければ、とても相手に対抗することなどできないわ」
 武士たちが放った矢は途中で勢いがなくなり、相手の盾や鎧で跳ね返されてしまった。
 「くそっ」と言って、秀樹はいらだたしげに舌打ちした。「あー、畜生、頭がすげぇ痛いぜ」彼は床に四つんばいになって、激しく呼吸をした。そして、亜矢子を見た。
 「おまえ、あんなに長い時間やっていて、よく平気だな。歩夢はすごすぎるぜ。元気がないのかと思ったけど、とんでもねぇ。これだけ長い時間膨大な精神力を費やしているわけだから、見かけによらず、ものすげぇ強い奴だってことだよな。まったくブラックホールみたいな奴だぜ」
 亜矢子が秀樹の肩に優しく手を置いた。
 「わかったでしょ。あの人や私は普通の人と少し違うの。普通の人がやるととてもエネルギーを消耗するけど、私にとってはそれほどでもないわ。ましてあの人は計り知れないエネルギーを持っているからなおさらよ。だから、無駄なことはやめたほうがいいわ。私にかなわないのに、秀樹に対抗できるはずないでしょ。それに、霊力のない人がこれ以上やると命にかかわるわよ」
 「なんで、やってみないうちからあきらめるんだよ。俺は別に死んでもいいよ。だって、歩夢に勝てないってことは、亜矢子と一緒になれないってことだろ。おまえと一緒になれないくらいなら、死んだほうがましさ」
 秀樹の真剣なまなざしにじっと見つめられた亜矢子は、胸が熱くなった。それほどまでに私のことを思ってくれたんだ。胸の中に湧き起こった熱いものが、じわじわと喉から顔にのぼっていった。目頭が熱くなり、歩夢に半ば隷属して生活してきた数年間を思い、しらずに大粒の涙がぽろぽろとこぼれては、腕や手や頬を熱く湿らせた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日