シナリオ

飛行機
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65

 会議室の隅に亜矢子の守護霊が再び現れ、何度もうなずきながら、見守っていた。
 亜矢子の軍勢はいよいよ膨れ上がった。歩夢の軍勢は巨大な竜に変わった。雷雨の中、竜は右へ左へと飛び、耳がおかしくなるほどの雄たけびを上げ、炎を武士たちに浴びせた。
 一面真っ赤な火の海である。麻衣は秀樹の腕にすがった。イメージにしてはできすぎている。やはり歩夢は強い。秀樹はさすがに不安になった。
 しかし、亜矢子の戦闘集団はひるまなかった。竜が地上に接近したとき、弓矢の部隊が一斉に顔面を射当て、太刀を持った大男たちが体中に突き刺した。
 歩夢の最後の力だった。それが限界に来ていたので、高く竜を飛翔させられなかったのである。竜は大勢の武士に組み伏せられて、白い腹を仰向かせた。そして、めったやたらと切り刻まれてあえなく息絶えた。

 八時三十七分。制限時間よりかなり早めに決着が付いた。秀樹は「ほおっ」と、深いため息をついた。
 「ぬおー!」
 野太い声に、秀樹でさえ驚いた。歩夢から初めて聞く、野卑な絶叫だった。人を激しく恋したものは、相手が自分から離れようとすると、恋した分の数倍も激しく恨むものだという。歩夢の恨み、つらみ、罵詈雑言は、聞くに堪えなかった。亜矢子を憎み、侮辱した。歩夢は言うだけ言うと、力尽きて四つんばいになった。
 亜矢子は静かに、いやらしいものを見るような目つきで歩夢を見ていたが、秀樹の方を振り向くと涙を流した。秀樹は黙って抱いた。
 「もう帰ろう、亜矢子」
 「うん」と、亜矢子は鼻を詰まらせて返事をした。
 秀樹は亜矢子の肩を抱いて、会議室の出口に向かっていった。
 その二人の背中に、未練がましい声が追いすがった。
 「待ってくれよ、亜矢子。俺が悪かったよ。おまえを縛りすぎたし、自分勝手にやりすぎた。本当にこれからは心を入れ替えて、真面目に生きていくし、おまえを大事にするよ。だから、俺を捨てないでくれ。おまえがいなければ、俺は生きていけないんだ」
 二人の足が止まった。亜矢子は振り向きもしなかった。
 秀樹が振り返って、射るような視線で歩夢を見た。歩夢の視線は泳いでまともに秀樹を見ることができなかった。
 「俺はあんたから亜矢子を無理やり奪い取るつもりはない。亜矢子の意志なんだ。亜矢子を思う気持ちがあるのならば、亜矢子があんたに示したおそらく最初で最後であろう意志をどうか尊重してやってくれよ」
 決意みなぎる表情で、力強くそう言われると、歩夢のような男でも、さすがに自分が恥ずかしくなったようだ。彼は首をうなだれて弱々しい声で言った。
 「わかった。亜矢子を幸せにしてあげてください」
 やっと自分の置かれた状況に気づいたのか。秀樹に対して謙虚になっていた。
 歩夢が言い終わると、秀樹は力を込めて亜矢子の肩を抱き、会議室から出た。亜矢子は、秀樹の肩にもたれて泣いていた。
 事務所を出ようとすると、栄治が声をかけた。
 「歩夢との勝負に勝ってよかったな」
 「あれ? 生きていたのか?」
 「死ぬわけないだろ。気を失っただけだ。最後の方は見ていたよ」
 栄治は頭をかいた。
 「だけどよ、もし負けたらどうするつもりだったんだ? 亜矢ちゃんと結婚できなくなっちゃったんじゃないか?」
 「そんなことないさ」
 「だって、負けたら亜矢子さんをあきらめるって、秀樹、言ってたじゃない?」麻衣が口を挟んだ。
 「俺はそんなこと言ってないよ。『歩夢さんの好きにしていい』って言っただけさ」
 「どういうこと?」麻衣と栄治は同時にきいた。
 「つまり、俺が亜矢子との結婚をあきらめるとは言ってないってことさ。ゲームに負けたら、裁判所で手続きして、彼が亜矢子に近づけないようにするだけのことさ」
 「なにそれ、じゃあ、歩夢をだましたの?」
 「まあ、そう言っちゃあ、身も蓋もないけど、どっちにしても俺は、亜矢子と歩夢さんを離すつもりだった。ただ、法的措置を使うと彼はいつまでも俺たちを恨むだろう。だから、彼の納得できるルールで決着を付けたかったんだ。彼の好きなゲームで決着を付けられれば、一番望ましいんじゃないかって思っていたんだ」
 「なるほど」
 栄治は、まぶしそうに秀樹の顔を見つめた。
 「おまえはなかなか頭が切れるな。公務員をやらせておくのがもったいないぜ。どうだ、本当に俺たちの仲間にならないか?」
 秀樹は苦笑して出口に向かった。
 「首になったときには頼むよ」
 「秀樹、亜矢子さん、また遊びに来てね」
 麻衣は名残惜しそうだった。
 「じゃあ、失礼します」
 秀樹が軽く頭を下げると、麻衣と栄治が手を振った。栄治の部下は皆、深々と頭を下げた。
 夜の繁華街は熱気に満ちていた。熱い風が吹きつけて、衣服が膨らんだ。二人は新幹線ホームめがけてゆっくり歩いた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日