シナリオ

飛行機
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66

亜矢子の告白

 駅に着くと亜矢子は、「気持ち悪くてもう歩けない」と言った。
 秀樹は、計画を変更して、店に入ることにした。どうせ新幹線の切符は買ってない。
 店を探したが、フランチャイズ・チェーンのコーヒー・ショップぐらいしか見当たらなかった。
 「ここで少し休んでいくか?」
 亜矢子はうなずくだけだった。
 店に入り、カフェラテを買って、椅子に座った。甘いカフェラテを飲むと、亜矢子は少し落ち着いた。
 「体力を消耗しきったんだよ」
 「そうみたい」
 亜矢子が顔を上げた。表情がみるみるうちに変わってきた。さっきまで泣いていたのがうそみたいに元気になった。
 「うれしい!」
 亜矢子はとびきりの笑顔を見せた。
 秀樹はとまどった。
 「おい、具合が悪いんじゃないのか?」
 「だって、……だって、あの人と別れられたんだもん。もう、本当にうれしいよ」
 コーヒーを飲み終えると、二人はシティホテルのレストランに入った。秀樹が、「泊まっていこう」と静かに言い、亜矢子が無言でうなずいた。
 ウェイターが静かに料理を並べた。
 亜矢子は温かいスープを一匙すすった。それは、彼女の食欲を刺激した。
 「おなかがすいたんだろう」と、見透かしたように秀樹に言われ、おかしくなった。
 「ええ、夢中で戦っていたから、おなかがすいたのに気づかなかったんだわ」
 サラダが済み、肉料理が運ばれてきた。よい匂いがした。食べているうちに、体が温まり、気分が高揚してきた。
 「私、本当によく戦ったよね。自分でもよくやったとほめてあげたいくらいよ」
 秀樹は、にこにこしながらうなずいた。
 食事をしながら、亜矢子はひっきりなしに話し続けた。
 「私はあの人に勝てないと思い込んでいたの。あの人の妙な帳で覆われて、現実からいつのまにか遠ざかっていたのかもしれない。でも、秀樹が私の目を開かせてくれたから、私は現実の世界で生きる息づかいを取り戻せたのだわ。私はあの人との関係を断ち切りたいと思っていた。アパートも別々にした。でも、彼はすぐにやってくる。私の周辺にまとわりつく。それに、私は守護霊の言葉を信じていたし、結局は彼が私にとって、自分を癒す唯一の存在なのかもしれないと思い、あきらめようとしていた。二年前の配置換えであなたとチームを組んで仕事をするまではね」
 「ちょっと、待ってくれ。あいつにまとわりつかれていただけじゃないんだろ? おまえもあいつに癒されるのを望んでいたんだろ?」
 秀樹に見抜かれて、亜矢子は観念した。でも、秀樹は詮索するために質問しているわけではないことも理解できた。それで、打ち明ける気持ちになった。彼女はうなずいた。
 「私はあなたと会ってから、本当にあなたのことが好きになったの。でも、おじいさんの言葉があったから、あの人が完全に私から離れてしまうことも怖かった。だから、自分の方からもあの人のアパートに出かけていったことがあった」
 秀樹は感情を飲み込んだ。もっと若かったら、亜矢子の告白を受けとめられずに、怒りだしたかもしれない。今の彼なら、こういう感情を飲み込んで平静を保つことができる。しかし、やはり衝撃は大きかった。亜矢子の方から歩夢を求めることもあったのか。
 「付き合いはじめた頃は、結構まともな人だったし、仕事に燃えていた。ところが、特にこの二年ぐらいは生活がすさんで、一緒にいても喧嘩ばかりだったわ。秀樹がヨーロッパ旅行に当選したことは、今から考えると私の人生の転機だったわ。あなたにとってペアチケットは、行くあてのないものだったみたいだったけど、私には神様が与えてくれた最後のチャンスに思えたの。もちろん、あの人には何も言わないで行くつもりだったわ。そしたら、いつの間にか、かぎつけたの。机の引出しにしまっておいた旅行の行程表を、勝手に引っぱり出して、私を問い詰めるから、大喧嘩になったわ。あなたの名前を見て、すごくやきもち焼いてた。あなたと決めたルールを説明したけど、『下手な言い訳をするな』って余計に怒っちゃったわ」
 「俺たちの行く先々へ現れるはずだよな。借金返済手段として、栄治がヨーロッパでの怪しげな仕事に誘っていたのかもしれない。栄治の行き先と俺たちの行程が似ているから、その仕事に乗ったのだろう。だけど、亜矢子が自分の恋人だと知られたら、北川に何をされるかわからないから、成田で初めに見たとき、彼はあんなにおどおどしていたんだ」
 秀樹は推測を話した。心の中ではさらに推測を進めた。亜矢子と歩夢が交際していることを栄治が知ったのは、おそらく最近のことだろう。もしかしたら、そのことをかぎつけた麻衣が、歩夢と取引するよう栄治にたきつけたのかもしれない。この推測を確かめてみようと思って、「最近、亜矢子のアパートの付近で麻衣さんと顔を合わせなかったか?」ときこうとしたが、最初の三、四文字を発音しかけたところで、亜矢子がしゃべりだし、このことはそれきりになった。
 「ねぇ、一つきいてもいいかしら」
 亜矢子の瞳は潤んでいた。
 「もちろん」
 「一年間待ったのは、気持ちを確かめ合うためだけが理由なの?」
 「どうしてそんなことをきくんだい?」
 「私はやっぱりあの時すぐにだと難しかったかもしれない。実際、歩夢との関係をきれいさっぱり解消するのにこんなに大変なことが起こったんだからね。それと同じように、秀樹にも何か清算しなくてはならないことがあったのかなって思ったの。彼女いないって言ってたけど、実は気持ちの整理とかしきれてないことがあるんじゃないの?」
 秀樹は、まいったなと思った。女って鋭い。亜矢子は歩夢とのことをさらけだした。だから、自分も言わなければならなかった。
 「部屋で飲もうよ」と、さらっと言って、伝票をつかんだ。
 「ええ」亜矢子も当然のことのように言って、バッグを腕に抱えて立ち上がった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シナリオ
◆ 執筆年 2010年5月16日