あなたに夢中

ひまわり
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29

「きまってるじゃない。側溝からタイヤを引きあげて、帰る方法よ」
「帰るの? ここで泳がないの?」
「帰るわよ。こんな薄気味の悪いところにこれ以上いたくないわ」
「わかった。でも、どうすればいいかな?」
「そうね。電話を見つけて、JAFか警察を呼びましょう」
 龍一は困った顔をした。
「どうしたの? なんかまずいことでもある?」
 龍一はゆっくり肯いた。
「うん。実はおれ、前科者だから、警察関係とはあまり関わりたくないんだ。前科者だと気づけば、あれこれ詮索するにきまってるんだから」
「龍一君、前科者だったの?」
 温子は目を大きく見開いた。
「ああ、子どものときに誤って近所の子どもを死なせちゃったんだ」
 龍一はそういっておどけた。温子は本気で腹を立てた。
「ふざけないでよ。ほら、電話を探しましょう」
 ふたりは国道までもどって、電話を探した。しばらく歩くとあきらめて、今度は反対側に向かったが、またしばらくするとあきらめた。店も電話も看板もない。見通しだけはすばらしくよかった。
 ふたりは顔を見あわせた。
「どうする?」
「とりあえず、海にでも入るか?」
「龍一君、どうしてそんな悠長なことが言えるの?」
「なすすべもないときはしばらく休んでいたほうがいいんだよ。そのうち名案が浮かぶさ」
「いやよ。まだやれることがあるわ。そうだ、走っている車を呼びとめましょう」
「無理だよ。ここ砂埋里村ではだれもとまってくれないんだ」
「砂埋里村?」温子は、目をしばたたいた。
「車で走ってるとき、標識に書いてあったんだ」
「……」
「ここ砂埋里村の国道には、ヒッチハイカーを装った男女ふたり組の殺人鬼が現れるっていう噂があるんだ。見た目は若くて善良そうなふたりなんだけど、それが口にも出せないひどい殺し方をするんだ。おれたちが国道で立っていたら、きっと警戒されるだろうね」
 温子はまばたきをやめてじっと龍一を見つめていたが、そのうちに一筋、二筋と涙を流しはじめ、やがてそれは嗚咽に変わった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 あなたに夢中
◆ 執筆年 2000年8月6日