あなたに夢中

ひまわり
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「食べよう」龍一がにっこりと微笑んだ。
 温子の表情が少し穏やかになった。
「ありがとう」
 ふたりの言葉が、コンソールボックスに置いたプラスチックのお盆のうえの、所狭しと並べてある缶詰や瓶詰のあいだで、そっと寄り添った。
 龍一はまるで早食いの練習をしているように食べて、リュックを外に持ちだしガチャガチャ音を立てている。
 温子がおなかいっぱいになって降りてみると、龍一はガスバーナーで湯を沸かし、コーヒーを淹れていた。風向きが変わり、温子の鼻先にコーヒーの強い香りが流れてきた。
「飲む?」龍一が顔をあげた。
「飲む、飲む!」温子は即座に答えた。
 龍一はマグカップにコーヒーをそそいで温子に渡し、車のキーをアクセサリーに切り替え、テープのスイッチを入れて、布張りの折り畳み椅子に腰をおろした。
 薬師丸ひろ子の『すこしだけ やさしく』が始まった。

  ちょっぴり暗い眼をしていたら
  陽気な声ふりまいてはしゃいであげる
  少しだけ冷たくしてあげる

  重ねた右手そっと外して
  私もきっと天邪鬼だわ

「熱くておいしいね。暑いのに変」
 温子の顔が幸せでいっぱいになった。コーヒーとこれほど素直に向かいあったのは初めてかもしれないと思った。
「おかわりもらえる?」
 龍一は温子のマグカップにまたたっぷりとそそいだ。
「おなかがいっぱいになると機嫌が直るね。我ながらあきれるわ。そうね、じたばたしても仕方ないから、ここで休んで、名案を浮かばせようか」
「ワイン冷やしてるんだよ。磯の日陰に沈めたけど、そんなに冷たくならないかもしれない」
「ほんとう? 楽しみね」
「着替えてきなよ。これふくらませておくから」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 あなたに夢中
◆ 執筆年 2000年8月6日