あなたに夢中

ひまわり
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39

 そこへ、龍一が海パン姿で温子の荷物を両手に持って歩いてきた。何事もないような顔をして、「かあさん、腹減った。お昼にしてよ」と言い放ち、集落のほうへ歩いていった。
 龍一がどんどん行ってしまうので、母親は背中に向かって早口で言った。
「おまえが帰ってくる日だから、あきちゃん、手伝うって。いま、お昼の支度、してくれてるよ」
 あきちゃんという名前に温子は反応を示した。しかし龍一の両親はそれに気付かずに、温子を昼食に招いた。温子はしばらくためらったが、龍一に従うほかはないと思い、両親についていった。
 三人は一軒の民家の前で立ちどまった。青いトタン屋根が半分錆びついている、木造の小さな家だった。温子は表札を見た。

  鈴木利忠
    京子
    龍一
    美雪

 墨で書かれた字をしげしげと読んでいると、母親が家の中へ招き入れた。温子が玄関をくぐると、さっきの女の子が立っていた。温子はあいさつをした。女の子は、「どうぞ」と言うと、中に入っていった。
「近所の明子ちゃん」と、母親が説明した。「明るい子と書いて明子。よく手伝いにきてくれるの」
 余分なもののない家だった。すぐに急な階段があって、右手に居間があった。居間には少しずつ昼の支度が調いはじめていた。言われるがままに席に着き、温子は正座した。足を崩すよう言われて温子は素直に横座りした。ふと、奥にある仏壇に気付いた。何人かの先祖の写真といっしょに、まだ新しい、女子高生の写真が飾られていた。
「旅行に行ってたからなにもなくてね」
 母親は弁解らしく言って台所に行き、明子とふたりで立ち働いた。父親は温子の向かいにあぐらをかき、ビールを飲みながら話し相手を務めた。学校でなにを勉強しているか、北海道はどこをまわってきたかなど、いろいろとたずねられた。温子はそれぞれきちんと返事をし、海胆がおいしかったことを付け加えた。父親はうれしそうな顔をして、このへんでと獲れるもののこと、漁の苦労話など、熱く語った。

 そのうちに龍一が二階から降りてきた。ビールを持って温子の隣に座り、黙って飲みはじめた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 あなたに夢中
◆ 執筆年 2000年8月6日