憑依

花
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 息子が二人、娘が一人いる。長男の武一郎は、腕力も強く、酒も強く、女にも強かった。パチンコや競馬などもたしなんだが、父母は少しもとがめなかった。武一郎が度を越すことはなかったからである。彼は、根っからの漁師であった。海でじりじり日に炙られながら、大声で網子たちを叱りつけているのが、一番好きだった。長女の里美は、高校を卒業し、兵庫県に嫁いでいった。美貌の才女で、担任教諭から大学進学を勧められたが、親は恐縮し、本人は分不相応ですからと遠慮しているうちに、親戚の披露宴の席で、彼女を見染めた兵庫のさる資産家が、大枚包んで訪ない、是非愚息のところへ来てもらえないだろうかと、頭を下げた。もう二歳の男の子がいる。
 処置に窮しているのは、次男の豊雄である。何かしでかすというのではない。むしろ、兄貴のように遊び好きの方が、始末がいいのかもしれない。しかも、武一郎は甲斐性があるのだからなおさらだ。この次男、どうも漁師には向かないようで、エレキギターばかりいじっている。ところが長続きしない。映画、漫画、テニス、ボーリング、ヨット、サーフィン、何をやっても中途半端だ。朝寝坊で、意気地なしである。とても海の男にはなれそうもない。網元を継がせたら、身代を傾けてしまうだろう。頼りになる兄がいるので、父母はあまりうるさいことを言わずに、好きなことをさせておく。自分でもいずれ家を出て、独り立ちするしかないとわかっている。工員はきつそうだからやめようと思い、適当に勉強して、そんなには世間にも恥ずかしくない大学を受けたが、見事に落ちた。さすがに将来が不安になり、東京の予備校の寮に入り、生れて初めて反吐が出るほどの努力というものをしてみたのである。

 思えばその一年半前、銀行家の妻になった姉が里帰りした時、シャム猫の子供を連れてきたことが、そもそもの発端であった。
 姉夫婦の交際相手に、アメリカで大流行したシャム猫を譲り受けて、こよなく愛好する一家があった。シャム猫の夫婦が子供をたくさん産んで、引き取り口を探していたので、姉が一匹ねだったら、簡単にくれた。ところが、生後数か月の赤ちゃんがどうしても嫌がるのだという。それで仕方なく実家に持ってきたというわけだ。そんな猫飼えるわけないと、口々に言いながら、父も母も兄嫁も、よりによって兄までも、だらしない顔で子猫と遊んでいる。兄嫁は嫁ぐとき、長年飼っていた猫を置いてきたことをいつも悲しがっていたので、だれよりも喜んだ。一人豊雄だけが、動物というものが元来好きではないせいもあってか、本心どおりに反対論を唱えていた。しかし、事態は彼の思惑どおりに進まなかった。笑顔で、しょうがねえなといいつつ、武一郎は、細心の注意を払いながら子猫を胸に抱いた。兄貴、猫の世話、本当にみるんだろうな、俺は、絶対に面倒みないぜ、と豊雄が言っても、ごつい両手にちんまり猫を抱いた武一郎は、任せておきなって、俺が一切面倒みるからさ、としまりのない顔で返事をするだけだった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日