憑依

花
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 菜摘は名門高校に通っていた。成績がよく、大学進学を考えていたが、親に反対された。菜摘は建築の勉強をして、立派な建築家になりたいと主張した。しかし、兄二人がいて、彼女が家を継ぐ可能性はない。漁師の家にいくのに、大学卒業の資格は必要ない。単純にそういう理由だった。娘のささやかな夢よりも、県の名士と関係を結ぶことの方が優先されたのだ。
 それでも、菜摘は親同士が決めたこの結婚を承諾した。大学に行って建築の勉強をしたければ、嫁入りして落ち着いたら、そうしても構わないと説得されたせいでもあった。それに、将来のことを考えたら、願ってもない縁談であるのは間違いないことだと、心のどこかで考える自分もいた。大学を出て、恋愛結婚しても、これほどの相手は見つからないかもしれない。武一郎の家業は漁師とはいっても、自分の手を汚す必要はほとんどなかった。武一郎の父親である武雄も、市長としての職務の方が中心である。数年後には県会議員になるだろうと誰もが思っている。知事をやっている弟とは違い、叩き上げで、現在の地位を築いたのだ。その長男の武一郎も武雄の跡を継ぐだろうといわれている。
 菜摘は次第に武一郎とうちとけていった。結納を済ませ、嫁入りした。豊雄を初めて見た時の印象はいつまでも残ったが、気持ちの中では、引きずらなかったつもりである。
 武一郎は頼りがいがあって、浮気もするけど、自分に優しくしてくれる。はじめのうちはやきもちも焼いたが、自分が軽んじられているわけではないということも知っているし、大棚の後継ぎ息子の嫁なのだから、どっしりと構えていなければと思っている。しかし、最近、ふと寂しくなる時がある。そんなとき、優男で、映画俳優みたいに顔立ちの整った、豊雄のことを考えては、すぐに邪心を頭から追い出さなければならないということが度重なる。皆、漁に出ているか、漁協の仕事をしているか、政務に携わっているかで、外に出ている。豊雄が学校から戻ってきてから数時間は、家の中に二人だけということも、常のことだ。また邪心が起こったが、振り払い、お茶を汲み、運んできたのだ。なんとなくぐずぐずと部屋から出ないでいる。豊雄はわき目も振らずに勉強しているように見える。それが菜摘にはおかしくてならない。ノートに数式がずらりと並んでいる。他にとりえはない豊雄だが、数学だけは相当にできるということを武一郎から聞いたことがある。それ以外はまったくできないから、国立は難しいが、私立ならば、そこそこの、恥ずかしくないところに行けるだろうと言われている。
 「何してるの?」と、両腕を机の上にぴったりとつけてうつ伏せ、その上に頭を乗せ、顔だけ豊雄の方を向けて、菜摘はきいた。男心をくすぐる、あでやかな目つきである。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日