憑依

花
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18

 前菜と一緒に白ワインも運ばれた。銀製のワインクーラーでよく冷えている。小柄のメイドが壜を真っ白な布に包んで差し出した。
 「数学の勉強をしないとだから」
 真名美が情感たっぷりに豊雄を見つめた。
 「少しぐらいなら、構わないでしょう?」
 「ぼくは構わないけど、来ていきなり酒を飲んだ予備校生なんて、後々佐々木家の語り草になっちゃうしね」
 「詩絵のお酌じゃ、お気に召さなくて?」
 詩絵と呼ばれたメイドは、真名美の傍らに寄り、壜を手渡した。テーブルの向こうから真名美が豊雄に壜を差し出した。
 「どうぞ」
 なんとも情感のある言い方だった。たった三つの音なのに、これだけでコンサートになりそうだった。結局、豊雄はワインを飲んだ。予備校生活を始めてから酒を飲むことを覚え、本当はさっきから飲みたくて仕方なかったのだ。勧め上手の真名美につがれるままに、豊雄は飲み干した。いつとやら真名美は身の上話を始めていた。
 「実は、私、結婚したの」
 豊雄は、また口をぽかんと開けて、顔を固まらせた。さっきからの期待感が急速にしぼんでいく。真名美は構わずに続ける。
 「相手は大富豪。高校卒業してすぐだったの。親同士が勝手に決めたのよ。それで、受験も取りやめにしたの。ところが、春先に、遺産を残して、飛行機事故で、死んじゃった。この家に一人でいても退屈だから、予備校に通いだしたの」
 真名美は言葉を切った。うつむいて困っているように見える。顔を上げた。口を動かそうとした。しかし、また下を向いてしまった。豊雄は心配になった。
 「どうしたの?」
と言った瞬間、真名美は気持ちを爆発させた。
 「会いたかったの」
 真名美は泣いている。豊雄はわけがわからない。
 「え?」
 「あなたに」といったん言ってから、言い直す。「あなたみたいな人に」
 彼女は、ついに嗚咽しながら思いを打ち明けた。体の前に手を組んで立っていた詩絵は、さりげなく席をはずし、豊雄が入って来たのとは別のドアを開けて、音もなく消えていった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日