憑依

21
にこやかにお辞儀して、詩絵は消えた。一面大理石に覆われた部屋だった。ガラス戸の向こうは浴室のようだ。戸を開けると、広い湯船とシャワーがあった。アメリカの映画に出てくるような浴室だった。豊雄は服を脱いで、タイルの床を歩いた。石鹸、シャンプー、ひげそり、何でもそろっている。体を洗い、だだっぴろいバスタブに体を浮かべる。すべて清潔で、いい香りが漂う。ワインでほてった体が心地よい。体がふやけたら、心も拡散したのか、真名美へ直進する思いが、少しだけ横道にそれた。親にどう言おうか。もっと心配なのは兄だ。あの一件以来、兄は自分にとても厳しくなった。そうだ。まずは神戸へ行って、お姉さんに相談してみよう。今夜は何も考えずに、真名美と朝を迎えよう。浴室は静かだ。浴室だけではない。家の中は妙に静まり返っている。食堂もゲストルームも本当は存在していないのかもしれない。ただこの浴室だけになってしまった気がする。ふと何の脈絡もなくそんなことが頭に浮かんだ。そういう感じは、今だけではなくて、何かの折に豊雄に訪れることがあるのだ。しかし、それにしても、これだけ広い屋敷なのだから、人気というものがもっと感じられていいはずだ。使用人もたくさんいるのだろうに。何か荒涼としたものがある。はた目からは華麗に見えても、金持ちの家などというのはみなこんなものなのだろうか。建物に人が入っていると、たとえそれが離れた場所であったとしても、たとえ自分が浴室にいたとしても、なんとなく人の気配というものを感じるものではないだろうか。それが不思議なほどにしないのだ。意味もなく湯をかき回すと、その音だけがうつろに響く。さて出ようかと思っていると、急に高い音が聞こえてきた。猫の鳴き声のようだ。耳を澄ますと音が遠ざかる。気のせいかと思って浴槽から起き上がろうとすると、また聞こえてきた。耳を澄ますと遠ざかる。この屋敷に入ってから、猫を見た覚えはない。気のせいということにして、ついに浴槽から出た。着替え終わると、待っていたかのように、詩絵が声をかけた。詩絵の後をついていく。廊下の照明はさらに暗くなっていた。ドアだけを見ても、真名美の趣味のよさが感じられる、奥ゆかしく洗練された部屋だった。ほのかな明かりの奥の方に気配がある。豊雄ははやる気持ちを抑えて、ゆっくり真名美に近づいた。真名美は恥ずかしそうに豊雄の手を握り返した。
明け方の夢の中で、昨晩のことを何度も思い返していた。印象は清楚なのに、初婚ではないせいもあるのだろうが、今までに真名美と何度も身を寄せ合ったことがあるという気がした。以前菜摘と抱き合っていたときのことを思った。何度も菜摘のことを思い出した。目を開けると、真名美の顔が菜摘みたいだった。払暁の夢の中では、腕の中の女は本当に菜摘に変わっていた。菜摘のうれしそうな顔を見ていると、急に体が冷えてきて、目が覚めた。隣には真名美が安らかに寝ていた。髪が長くて顔がすぐ隠れるからわからなかったが、こうしてみると、菜摘に似ていなくもない。目も大きい。寝ていると思った真名美が、急に大きな目を開いた。しばらくしてほほえんだ。
明け方の夢の中で、昨晩のことを何度も思い返していた。印象は清楚なのに、初婚ではないせいもあるのだろうが、今までに真名美と何度も身を寄せ合ったことがあるという気がした。以前菜摘と抱き合っていたときのことを思った。何度も菜摘のことを思い出した。目を開けると、真名美の顔が菜摘みたいだった。払暁の夢の中では、腕の中の女は本当に菜摘に変わっていた。菜摘のうれしそうな顔を見ていると、急に体が冷えてきて、目が覚めた。隣には真名美が安らかに寝ていた。髪が長くて顔がすぐ隠れるからわからなかったが、こうしてみると、菜摘に似ていなくもない。目も大きい。寝ていると思った真名美が、急に大きな目を開いた。しばらくしてほほえんだ。