憑依

花
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25

 父に渡された武一郎が「どれどれ」と言って記事を目で追う。何も言わずに怖い顔をしている。顔も見ずに豊雄に新聞をつきだす。半年ほど前の事件だった。東京の博物館から突然重要文化財が姿を消したというものだった。「二条為基」、「石帯」という言葉が豊雄の目に飛び込んだ。血の気がすうっと引いていった。
 「とにかく、まだ身内の者しか知らないのが救いといえば救いだ。他の者から話が漏れて、逮捕されるようなことになると、大宅家もおしまいだ。自首という形なら、多少罪が軽くなるだろう。県警の幹部に知り合いがいるから、マスコミに大げさにかきたてられないよう配慮してもらおう。豊雄、すぐ支度せい!」
 「待ってくれよ。俺は何も知らなかったんだ。本当に真名美がくれただけなんだ」
 武雄が堅い棒のように立ちはだかって、ただまっすぐ息子を見つめた。さっきの、久方ぶりの、ほんのつかのまの、団欒めいた雰囲気は、まったくの思い違いであると、やっと気づいた自分の愚かさに腹が立った。父は静かだが、兄が怒鳴るより怖かった。父の目は、兄の拳骨より骨身に応えた。若い時は兄より声が大きく、喧嘩っぱやかったと、母や叔父から聞いたことがあるが、今では声を荒らげることなどめったに見なくなった。何しろ、手か顔を少し動かせば、若い者が走って寄って来るのだから、必要がないのだ。豊雄は口をつぐむしかなかった。父に連れられて、和歌山県警に出頭した。
 初めて県警に足を踏み入れた。学校や役場と同じように味気ない、ごく普通の公共建築物で、厳粛なものは何もなかった。中で働いている警官たちものんびりしたものだ。県の名士で通っている武雄が歩いていると、あちこちからあいさつされる。豊雄に対してまで恭しい。二人は県警本部長の部屋に通された。
 「市長、わざわざお越しいただいて恐れ入りますな」
 時期県議会議員をねらっている武雄は、市町村長や県議たちの会合の席で、本部長と顔なじみになった。釣り好きの本部長は、武雄の自家用クルーザーで沖釣りをするのが何よりの楽しみだ。婦人警官が豊雄にも丁重に挨拶して茶と菓子を置いて部屋から出ていった。
 「本部長、まずいことになったんだ。うちの馬鹿息子が犯罪に巻き込まれたみたいなのだ」と言って、おもむろに黒檀の箱を本部長の大きなデスクの上に置き、蓋を取った。
 本部長の顔から笑みが消えた。武雄の話を聞くうちに、穏やかで人懐っこそうな顔が、意外なほど厳しくなっていった。豊雄はやっと、県警という場所の厳粛さに気づいた。本部長はじっと豊雄の様子を観察していたが、やがてよく通る低い声で語りかけた。
 「豊雄君、君が見たことをありのままに話してくれないかい?」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日