憑依

花
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俺もあの頃夢中になっている女がいたから、菜摘のことはどうでもよかった。シュガーを捨てたといったけど、実を言うとな、シュガーが俺に捨てさせるようにしたと思うんだよ。休みにごろごろしていたら、シュガーが俺のところへ来てまっすぐ見つめているんだ。ものほしそうにな。俺はやっぱり菜摘とお前のことを思うと面白くないから、いつか捨ててやろうと思っていた。でも、面倒くさいので、先延ばしにしていたんだ。シュガーが俺の気持ちに気づいたのかと思ったよ。シュガーは俺をどこかへ連れ出そうとしていた。シュガーが顔で合図したんだよ。俺に来るようにって。シュガーの後を俺はついていった。シュガーは俺の車の助手席で立ち止まると、また合図をした。開けるようにって思えたぜ。開けてやると、すぐさま飛び乗った。普通猫って車に乗るのは嫌がらないか? 変だなと思っていると、運転席に乗れっていうふうにまた合図をするんだよ。俺が乗ると、走れって、しぐさをするんだ。俺はシュガーと長いドライブをしたよ。どこに行ったかって? お前、それがな、東京まで行ったんだよ。シュガーの気にいらない方向だとギャアギャア、気味悪く騒ぎ立てるんだ。はじめのうちは俺も困ったよ。どこに連れていけば気が済むのかわからなくて、長いことわめかれていた。俺はぴんときた。豊雄のところに行きたいんじゃないかなと思って、高速に向かったら、ぴたっと鳴きやんだ。お前の寮の近くに着くまで、おとなしく前を見てたよ。あの目は、変なたとえだけど、恋人を思う女のまなざしだったな。なんかの加減で菜摘の目に見えることさえあったぜ。俺は変なことを考えたよ。豊雄に大切にされるシュガーの思いが、あるとき菜摘に乗り移った。そして、菜摘が死んだ時、菜摘の魂がシュガーに乗り移った。馬鹿らしいって言われちゃうかもしれないけど、俺にはそんな気がしてならないんだ」
 豊雄は話を聞きながら、青くなり震えだした。真名美と別れた日の朝、食堂の入口でシュラを抱いてまっすぐ立つ姿を思い出した。思えば、菜摘そっくりだったという気がする。羽毛布団にくるまれてかいだ香りは、菜摘の匂いだった。思い当たる節が、フラッシュバックした。浴室での猫の鳴き声。上気した真名美の菜摘に似た顔。ロールスロイスにこもった香水の匂い。別れ際に見た菜摘そっくりの横顔。豊雄はがくがく震えながら、声を絞り出していた。
 「義姉さんだ。義姉さんが、真名美の姿でやってきたんだ。あの喫茶店に来たのは偶然じゃない。機会をうかがっていたんだろう。シュガーが寮に来たって置いてやれないし、義姉さんの姿でやってくることは当然できない。火事で焼け死んだ真名美と入れ替わったんだ。真名美の姿で俺の居場所をあちこち探し歩いていたんだ。火事だって、義姉さんがやったことかもしれない。兄貴、俺はどうすればいいんだ? 怖いよ。明日、佐々木家の実況見分に行くのは嫌だよ」
 武一郎は、弟の両肩をつかんだ。
 「お前な、実況見分に行かなかったら、無実を証明できないだろ?」
 豊雄は兄の両腕をぐっと握りしめた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日