憑依

42
「チャックベリーはロックの創始者なんだ。黒人差別の強い時代だから、なかなか正当に評価されなかったんだけど、今流行ってるビートルズとかローリングストーンズなんか、みんな影響を受けてるんだよ」
「へえ。私、ロックはあまり聴いたことがないけど、豊雄さんの演奏素敵ね」
真名美の聴くものはたいていクラシックだ。自分でもピアノを弾く。サティの曲がお気に入りのようだ。豊雄はストーンズの「カム・オン」を弾きながら話を続ける。
「この曲はチャックベリーのを、ストーンズがカバーしたんだ」
高い音をピックで早弾きするのが、心地よいと真名美は思った。豊雄は高校時代にエレキギターに凝った。一時はプロを目指して、かなりの腕前になったが、熱しやすく冷めやすいのが彼の特徴で、ボーリングや漫画とともに、結局はものにならない趣味の一つにとどまっている。彼が長続きさせられているのは数学だけである。
幸せそうに何時間もロックの話をして、真名美に演奏と歌を聴かせる。そのうちに、真名美もいくつか歌を覚え、澄んだ声で豊雄の演奏に合わせて歌いはじめた。「ヘイ・ポーラ」を二人で寄り添って歌っているときに、髪をかきあげた真名美の方から、何かが焦げるような匂いが漂ってきた。豊雄は思わずギターを弾く手を止め、鼻をひくつかせる。
「どうしたの?」真名美が顔を上に向けた。
「うーん、なんかさあ、焦げくさくない?」
怪訝な顔をしていた真名美が、すぐ明るい目で答える。
「さっき、叔母様に頼まれて、外でごみを燃やしていたのよ。それが、服とか髪に移っちゃったみたい」
「それでか。髪が燃える時のいやな匂いがすると思ったんだよ」
真名美は長い髪を指でつまんで鼻先に当てた。とたんに顔をしかめる。
「やだあ。髪洗ってくるね」
別にかまわないよと言う豊雄を振り切って、ドアを開け、小走りで去ってゆく。
大学には一緒に通った。豊雄は数学科で真名美は英文科だったから、講義は別々のことが多かったが、昼は学食で一緒に食べた。皆が羨ましがるほど仲がよかった。真名美があまりにもきれいなので、男子学生からねたまれることも多い。同じ数学科に天台宗座主のせがれがいる。横山賢素という。「まさもと」と読むのだそうだ。なかなかの伊達男だと思っている。髪をリーゼントにばっちりきめて、真っ赤なポルシェを乗り回しているので、坊さんがそんな派手にしていていいのかときくと、座主を継ぐ頃までには落ち着くからいいんだよと真顔でいう。父はきわめて質素で、しかも菜食主義者だそうだ。賢素は河原町に学友たちをひっぱりまわして、ビールに焼き肉、お好み焼きと、意外に庶民的である。幼少の頃、そんな品のないものはいけないと固く戒められていたから、その反動だよ、とうそぶくが、ビールは品性とは関係なく、少年には勧められないものではないだろうか。
「へえ。私、ロックはあまり聴いたことがないけど、豊雄さんの演奏素敵ね」
真名美の聴くものはたいていクラシックだ。自分でもピアノを弾く。サティの曲がお気に入りのようだ。豊雄はストーンズの「カム・オン」を弾きながら話を続ける。
「この曲はチャックベリーのを、ストーンズがカバーしたんだ」
高い音をピックで早弾きするのが、心地よいと真名美は思った。豊雄は高校時代にエレキギターに凝った。一時はプロを目指して、かなりの腕前になったが、熱しやすく冷めやすいのが彼の特徴で、ボーリングや漫画とともに、結局はものにならない趣味の一つにとどまっている。彼が長続きさせられているのは数学だけである。
幸せそうに何時間もロックの話をして、真名美に演奏と歌を聴かせる。そのうちに、真名美もいくつか歌を覚え、澄んだ声で豊雄の演奏に合わせて歌いはじめた。「ヘイ・ポーラ」を二人で寄り添って歌っているときに、髪をかきあげた真名美の方から、何かが焦げるような匂いが漂ってきた。豊雄は思わずギターを弾く手を止め、鼻をひくつかせる。
「どうしたの?」真名美が顔を上に向けた。
「うーん、なんかさあ、焦げくさくない?」
怪訝な顔をしていた真名美が、すぐ明るい目で答える。
「さっき、叔母様に頼まれて、外でごみを燃やしていたのよ。それが、服とか髪に移っちゃったみたい」
「それでか。髪が燃える時のいやな匂いがすると思ったんだよ」
真名美は長い髪を指でつまんで鼻先に当てた。とたんに顔をしかめる。
「やだあ。髪洗ってくるね」
別にかまわないよと言う豊雄を振り切って、ドアを開け、小走りで去ってゆく。
大学には一緒に通った。豊雄は数学科で真名美は英文科だったから、講義は別々のことが多かったが、昼は学食で一緒に食べた。皆が羨ましがるほど仲がよかった。真名美があまりにもきれいなので、男子学生からねたまれることも多い。同じ数学科に天台宗座主のせがれがいる。横山賢素という。「まさもと」と読むのだそうだ。なかなかの伊達男だと思っている。髪をリーゼントにばっちりきめて、真っ赤なポルシェを乗り回しているので、坊さんがそんな派手にしていていいのかときくと、座主を継ぐ頃までには落ち着くからいいんだよと真顔でいう。父はきわめて質素で、しかも菜食主義者だそうだ。賢素は河原町に学友たちをひっぱりまわして、ビールに焼き肉、お好み焼きと、意外に庶民的である。幼少の頃、そんな品のないものはいけないと固く戒められていたから、その反動だよ、とうそぶくが、ビールは品性とは関係なく、少年には勧められないものではないだろうか。