憑依

47
「ふうー……」息を吐き出して、ギアをローに入れ、クラッチをつなごうとした瞬間だった。山から降りてきた赤いスポーツカーがものすごい勢いで目の前を横切った。曲がり損ねたのだ。間違いなくガードレールを突き破って、崖から落ちると思った。ところが、ガードレールに後輪が引っ掛かって止まった。窓ガラスは割れて、中の男女がうつ伏せになったまま動かない。もし、鳥に驚かされて、急停車するようなことがなかったら、あの車と衝突していたはずだ。豊雄は青くなった。「もしかしたら、あの鳥は自分を助けてくれたのかな」そんな不思議な考えも頭に浮かんだ。しかし、余計なことを考えている場合ではない。豊雄は、真名美と詩絵に待っているよう言いつけて、外に降りて様子を見た。どうやって救急車と警察を呼ぼうか困っていると、土地の人間の乗った車が降りてきた。その人は、この光景を見ると、ただちに路肩に車を寄せ、窓を開けた。豊雄が警察に連絡できないかと尋ねると、最寄りの家に電話を借りるといって、慌ただしく、ふもとに降りていった。そのあと、いくらもしないうちに、下から登ってきた車が、無残な事故車を見て、道端に停車した。なんと、さきほどの怪しい目つきの、開襟シャツの男だった。男は豊雄の感じた印象とは違い、親身に話し掛け、てきぱきと適切な対応を取った。おろおろする豊雄を手伝わせ、スポーツカーの中の男女を無事に外に出すことができた。男女を安全なところで休ませ、救急車を待つ間、男は豊雄に、「実は」と切りだした。
「私は、このあたりに住む僧侶なのです。西田恒義と申します。百日間の山籠りをついこの前に終えて、高山の知人の所をおとないました。先ほど、朝市でお見かけしたのは、そういうわけです。山籠りをすると、精神が冴えわたりましてな。見えないものもよく見えるようになります。ところで、あなたとご一緒の婦人たちは、奥様と妹さんですかな?」
男は、落ち着き払った様子で、豊雄に話しかけた。手にデパートの紙袋を提げていた。
「ええ、まあ、そんなものですが、それが何か?」豊雄はあいまいに答えた。
男は言い淀んでいる。
「あの、何かおっしゃりたいことがあるのでは?」
西田は、悲しみと慈悲をないまぜた目で、豊雄を見つめていたが、軽く目を閉じて一度うなずくと、低い声で話した。
「お気を悪くされるとは思うのですが、あの婦人たちについて、私の思ったままをお伝えしましょう。奥様たちは、以前に何か災難に遭われたことがありませんでしたか?」
豊雄は、ぎくっとした。なぜそんなことがわかるのだろうか?
「お坊様のおっしゃるとおり、妻は火災でひどい目にあったことがありますが、どうしてそんなふうにお感じになったのですか?」
僧侶は二度、三度うなずいた。
「私は、このあたりに住む僧侶なのです。西田恒義と申します。百日間の山籠りをついこの前に終えて、高山の知人の所をおとないました。先ほど、朝市でお見かけしたのは、そういうわけです。山籠りをすると、精神が冴えわたりましてな。見えないものもよく見えるようになります。ところで、あなたとご一緒の婦人たちは、奥様と妹さんですかな?」
男は、落ち着き払った様子で、豊雄に話しかけた。手にデパートの紙袋を提げていた。
「ええ、まあ、そんなものですが、それが何か?」豊雄はあいまいに答えた。
男は言い淀んでいる。
「あの、何かおっしゃりたいことがあるのでは?」
西田は、悲しみと慈悲をないまぜた目で、豊雄を見つめていたが、軽く目を閉じて一度うなずくと、低い声で話した。
「お気を悪くされるとは思うのですが、あの婦人たちについて、私の思ったままをお伝えしましょう。奥様たちは、以前に何か災難に遭われたことがありませんでしたか?」
豊雄は、ぎくっとした。なぜそんなことがわかるのだろうか?
「お坊様のおっしゃるとおり、妻は火災でひどい目にあったことがありますが、どうしてそんなふうにお感じになったのですか?」
僧侶は二度、三度うなずいた。