憑依

花
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 「失礼ですけれど、ご自分の服などが匂うような気がしませんか? 肉を燃やしたような焦げくさい匂いです。私には非常に強く感じられます。それに、先ほども申しましたように、私には普通の方に見えないものが見えるのですよ」
 豊雄は目を見開いた。そして袖や裾などを鼻に近づけて、匂いをかいだ。
 「なんともない、と思いますが、……匂いますか?」
 「慣れてしまったのですね。あやうし、あやうし。この私の鼻には、きつい匂いが漂ってくるのが感じられますよ。獣の匂いも混じってるな。あなたが連れているのは、ただのものではござらぬぞ。よいですか。ちょっと見ておきなさい」
 そういうと、西田恒義は静かにスカイラインの方へ歩み寄った。後部座席の真名美と詩絵が射るような視線を西田に向けていた。豊雄が見たこともない顔つきだった。警戒して身構える動物みたいだった。西田は紙袋から袈裟を取りだし、両手で広げた。ドアに手を伸ばそうとした時、見たこともない素早さで、二人は反対側のドアを開けた。野生の動物が逃げる時に見せる素早さだった。飼い猫が時折、飼い主を忘れたような顔をすることがあるが、この時の真名美は、豊雄の知らない顔をしていた。獣のように、ある種美しい目つきで、車から降りて、ガードレールの向こうの茂みに入っていった。西田は逃げられることを予想していたようだった。落ち着き払って、豊雄に合図を送り、茂みをかきわけだした。西田に従って、豊雄も藪の中を踏み分ける。真名美たちが草を払う音が聞こえる。まもなく、こちらを向いて立ち止まる二人が見えた。動物は泣きもしなければ、笑いもしない。二人の顔つきはまさにそういう感じだった。なぜ立ち止まっているのか不思議に思ったが、すぐに了解した。急激な流れに面した、切り立った岩の上に自らを追い込んでしまったのだ。高さはせいぜい二、三mほどしかないが、もし、川に飛び込めば、あっという間に奔流に押し流されるだろう。じりじりと、西田と豊雄は距離を狭める。あと少しで捕まえられると思った瞬間、真名美と詩絵は奔流に飛び込んだ。瞬く間に流されていく。すぐに滝となって落ち込んでいる。真っ逆さまに奈落の底へ落ちていった。
 「真名美―!」
 絶叫する豊雄の肩に西田が手をかけた。
 「あれは、猫です」
 驚いて豊雄は振り向いた。西田は険しい顔をしている。
 「水に落ちる寸前に、目にもとまらぬ速さで、二匹の猫が走り去るのを見ました。流れていったのは、猫にとりつかれた人の抜け殻です。おそらく、あの人たちはとうの昔にお亡くなりになっていたのでしょう」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日