憑依

花
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 西田恒義の言葉は度を失った豊雄の頭には入らなかった。なおも真名美の安否を確かめようと、水をのぞきこんで、危険なまでに身を乗り出している。
 「真名美―! 真名美―!」
 血走った目で叫び続ける豊雄の両肩を西田は強い力でつかんだ。そうしなければ、崖下に落ちてしまいそうだからだ。
 「もうどうにもならないのです。落ち着いてください!」
 豊雄は、涙でぐしゃぐしゃになった目を西田に見せた。
 「落ち着いてなんかいられるはずないじゃないですか! なんとかして二人をたすけなければ」
 サイレンの音が聞こえてきた。どやどやと人が騒ぎまわる音が聞こえる。西田はやっとのことで、取り乱す豊雄を連れて、警察の前に出た。事情を説明すると、警察は応援を呼んだ。自衛隊まで駆けつけた。もちろん、警察には、怪異のことは話さない。ヘリコプターも出て、大々的に二人の捜索が始まった。

 捜索は三日ほど続けられた。その間、豊雄は、近くの旅館に待機した。叔父たちと豊雄の両親、兄と姉が駆けつけた。その晩、西田は、警察には理解してもらえないような事情を、一族に説明した。西田には、森厳な雰囲気があり、誠意を尽くして語りかけるので、一族の者は納得した。最初、西田は、豊雄の肉親にも話さない方がいいかもしれないと思っていたが、彼らは豊雄の今までの怪異体験を受け入れているのだと、豊雄から聞いて、今回のことも理解してくれそうだという感触をつかんだ。それで、自分の感じる理不尽な現象をすべて明らかにすることにした。一族は西田の言葉にいちいち相槌を打った。「やっぱり」ともらす声も聞こえた。真名美と出合ったいきさつに、やはり、なんとなく誰もが解しがたいものを抱いていたのだということを、豊雄は改めて実感した。
 「それでは、高山の朝市を歩くあの二人が、焼け焦げた死人に見えたということなのですか?」
 さすがに、父は口を大きく開けたまま、絶句していた。西田は静かに一つ頷いた。
 「猫がとりついたようなのです。川に飛び込むときに、猫が体から離れて、どこかへ走り去りました」
 「ということは、その化け猫というのは、まだどこかにいるってことなのですか?」光雄は身を乗り出した。西田は佐緒里に勧められて熱い茶を一つすする。
 「かなりの執念を感じました。いずれ形を変えて現れるかもしれません」
 豊雄は顔をゆがめて、西田に懇願した。
 「西田さん、どうか、私をお守りください!」
 必死の形相で手を合わせる豊雄を、静かだが、強い目で見つめる。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日