憑依

53
髪の毛を燃やしたような嫌な匂い。彼はその匂いが今鼻を刺激したかのように、顔をしかめた。真名美が行方不明になった夜、この家に戻ると、どこもかしこも、焦げくさい嫌な匂いが充満していた。西田のいうことが完全には信じられなく、悲しみにうちひしがれて帰ってきた豊雄の頭が、その匂いで急速に冷めたのだった。
豊雄は、またぐるぐる部屋を見まわした。ぽっかりと心に穴があいたような気分であった。真名美との生活には、たしかに、現実感があった。素敵で、心地よい日々だったといっても嘘ではない。しかし、体の奥からこみ上げてくる、この薄気味の悪さは何なのだろうか。太平洋戦争の記録写真で、黒こげの死体を見たことがある。西田和尚は、歩いている真名美と詩絵は、黒こげの死体に見えたといっていた。おれは、黒こげの死体と暮らしていたのか。黒こげの死体と体をあわせたのか。いったい何度、体をあわせたことだろう。それを考えると吐き気を催してくる。昔、祭の屋台でお好み焼きを買った。中ほどまで食べると、嫌な味がした。暗くて、食べているものをよく確かめられなかった。友達に話しかけられて、夢中になっているうちに、炭酸飲料で飲みこんでしまった。嫌な予感と、妙に苦みばしった後味が消えないので、明るい所に広げて見てみた。お好み焼きの中に、黒っぽいものがはさまっていた。もうそのまま捨ててしまえばよかった。なぜ、それを確認しなければ気が済まなかったのだろうか。その黒いものには、歯でかみきった断面がはっきり見えていた。箸でつまみだし、あまりのおぞましさに、友達と叫び声を上げた。体長四㎝ほどだった。名前は、──。頭の中でもいいたくない。今の自分にまとわりつく不快感は、そのときと多少似ていた。真名美の正体を知った今、あまりのおぞましさで、一日に何度も風呂で体を洗いたくなる。最近は、自分の衣服や髪が焦げくさくないか、あちこち嗅ぎまわるのが癖になってしまった。どんなによく洗っても、鼻の頭だけあの匂いがこびりついてしまっているような気がする。あまり頻繁に強く洗うので、鏡に映すと鼻の頭が赤くなっていた。ひりひりする。
階段を上がってくる音がする。ノックと同時に、
「豊雄、俺だけど、入ってもいいか」
低くて太い武一郎の声だ。
「はい。どうぞ」と返事をしてから、兄貴が急に何の用だろうと、首をかしげた。
ドアを開けて、武一郎は、畳の上に座った。すかさず豊雄は座布団を渡す。武一郎は、「サンキュ」といって、座布団を尻の下に敷く。真名美がいつも座っていた場所だ。よく焼けた顔に翳りがある。今回の件でもずいぶん心配かけて、申し訳ないなと、豊雄は気の毒になる。
豊雄は、またぐるぐる部屋を見まわした。ぽっかりと心に穴があいたような気分であった。真名美との生活には、たしかに、現実感があった。素敵で、心地よい日々だったといっても嘘ではない。しかし、体の奥からこみ上げてくる、この薄気味の悪さは何なのだろうか。太平洋戦争の記録写真で、黒こげの死体を見たことがある。西田和尚は、歩いている真名美と詩絵は、黒こげの死体に見えたといっていた。おれは、黒こげの死体と暮らしていたのか。黒こげの死体と体をあわせたのか。いったい何度、体をあわせたことだろう。それを考えると吐き気を催してくる。昔、祭の屋台でお好み焼きを買った。中ほどまで食べると、嫌な味がした。暗くて、食べているものをよく確かめられなかった。友達に話しかけられて、夢中になっているうちに、炭酸飲料で飲みこんでしまった。嫌な予感と、妙に苦みばしった後味が消えないので、明るい所に広げて見てみた。お好み焼きの中に、黒っぽいものがはさまっていた。もうそのまま捨ててしまえばよかった。なぜ、それを確認しなければ気が済まなかったのだろうか。その黒いものには、歯でかみきった断面がはっきり見えていた。箸でつまみだし、あまりのおぞましさに、友達と叫び声を上げた。体長四㎝ほどだった。名前は、──。頭の中でもいいたくない。今の自分にまとわりつく不快感は、そのときと多少似ていた。真名美の正体を知った今、あまりのおぞましさで、一日に何度も風呂で体を洗いたくなる。最近は、自分の衣服や髪が焦げくさくないか、あちこち嗅ぎまわるのが癖になってしまった。どんなによく洗っても、鼻の頭だけあの匂いがこびりついてしまっているような気がする。あまり頻繁に強く洗うので、鏡に映すと鼻の頭が赤くなっていた。ひりひりする。
階段を上がってくる音がする。ノックと同時に、
「豊雄、俺だけど、入ってもいいか」
低くて太い武一郎の声だ。
「はい。どうぞ」と返事をしてから、兄貴が急に何の用だろうと、首をかしげた。
ドアを開けて、武一郎は、畳の上に座った。すかさず豊雄は座布団を渡す。武一郎は、「サンキュ」といって、座布団を尻の下に敷く。真名美がいつも座っていた場所だ。よく焼けた顔に翳りがある。今回の件でもずいぶん心配かけて、申し訳ないなと、豊雄は気の毒になる。