憑依

花
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 「兄貴、急にどうかしたのかい?」
 「前に言ってたろ? 菜摘のことで引っ掛かることがあるって」
 またノックがある。叔母だ。茶を持ってきてくれたのだ。丁寧な作法で佐緒里が置いたお茶を、武一郎は恐縮して一口飲んだ。
 「ビールかなんかのがええよね?」
 武一郎は、「すいません。そうしてもらえますか」と遠慮せずにいった。佐緒里はにっこり笑って、「お茶でも飲んで待っててね」と階段をあたふたと降りていく。まもなく、ビールやウイスキーを持ってきてくれる。そのあとを、店の若い娘が、刺身やら干物をあぶったのやらを大皿に盛ってきた。
 「あっ、もう構わんでください」
 きびきびと動いて、給仕する佐緒里と店の者にいって、頭を何度も下げている。二人が部屋から出ると、武一郎は豊雄にグラスを持たせた。ビールをつぎあって、一息に杯を空けると、武一郎はきりだした。
 「菜摘と結婚生活を初めたころだったと思うんだけど、実家の古いしきたりのことを何かの拍子でいってたのを思い出したんだよ」
 「実家の古いしきたりって?」話の先が見えない豊雄は、少しいらだった。
 「嫁いだ家に一時的に何かを渡して、生活が軌道に乗ったら嫁の実家に戻すとかいう話だよ」
 そういうと、武一郎はうちわを仰いだ。豊雄は、しばらく兄のセリフを考えていた。やっと兄のいいたいことがのみこめてきた。
 「まさか、菜摘の祖先は二条家だったのかい?」
 豊雄はタオルで汗をぬぐった。窓を開けて風通しがいいのだが、やはり暑い。佐緒里の妹の小百合が、氷を山のように持ってきてくれた。武一郎は氷をつかんで口にほうりこんだ。豊雄は、氷の皿を文机の上に置き、うちわであおぐ。その風が当たると、兄は気持ちよさそうにする。
 「いや、二条家かどうかはわからないけどな、真名美さんの頭の中に住んでいた菜摘がいわせた話というのが気になってな。お前に石帯を与えたのと似てるだろ?」
 豊雄は身を乗りだした。
 「なあ、兄貴、義姉さんの実家できけばわかるかな?」
 「今度一緒にいってみるか? このひどい騒ぎを気持ちの上だけでも、なんとかしなくちゃな」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日