憑依
59
「また何かわかったら教えてあげるわよ」奥さんはきさくにいって、つりをわたす。つりを受け取ると、その代わりに武一郎は名刺を渡した。
「ぜひお願いします。ここに住所と電話番号がありますので、息子さん夫婦の家とかがわかったらご連絡ください」
ガラガラ音を立てて、戸が開き、五人新しい客が来たので、奥さんはとたんに忙しくなり、「はい、はい」といって、名刺をレジ横の汚れた箱の中に投げ入れた。輪ゴムとかボールペンなどでごちゃごちゃしていた。このぶんだと、武一郎の名刺も、箱の中で忘れ去られてしまうのではないだろうか。しかし、忙しそうな奥さんの背中に話しかけるなんて、とてもできそうにないので、二人は外に出るしかなかった。
「あのおばさん、絶対忘れるよな」
「しかたないよ。だいいち、井上さんがいった先なんてわかるときが来ることはまずないだろう」武一郎は、ブルーバードに乗りこみ、手を伸ばして、助手席の鍵を開けた。
「兄貴、そば、うまかったかい?」乗りこんですぐに豊雄はいった。
「まずいのなんの」武一郎は、苦いものでも噛んだように、顔をしかめて見せた。
まだ秋は遠い。窓を全開にして、生温かい風に髪を吹かれるに任せた。
ぽっかり空いた心の穴は、どうにもふさぎようがなかった。豊雄は、この頃は、暗い予感も抱いていた。大学の夏休みは終わった。しかし、何も手につかなかった。あれほど自分を夢中にさせた数学に、今はなんの興味も湧いてこなかった。こんなもの、おれがやらなくたって、誰かがやるじゃないか。自分を心配し、また、期待もしている叔父と叔母に悲しい思いをさせたくなくて、朝はいつもどおりに起きて、いつも通りの時刻に家を出た。しかし、いつもの停留所よりもよほど手前に降りて、人目につかぬところで、ただただ時間を潰していた。初めは、時間が潰せればなんでもいいと思った。何の興味もなかったが、そのような理由で、パチンコ屋に入り、一日中玉をはじいた。タバコ臭い、薄暗い店内を歩いて、景品引き換え所に向かった。店の横の粗末な小屋で現金に換えてもらうための、特殊景品をもらった。もちろん、いつものことだ。すっかりすって帰る日もある。二、三千浮いたところで終わりになる日が週に、二、三度で、たまに、二、三万もうかる。やっているうちに習慣性がついてきた。もともと凝り性の豊雄は、こういうものにはまりやすい。なにしろ、他のどんなことも手がつかないのだ。パチンコに救われたと思っている。これにも興味を持てなくなったら死ぬしかないだろう。
「ぜひお願いします。ここに住所と電話番号がありますので、息子さん夫婦の家とかがわかったらご連絡ください」
ガラガラ音を立てて、戸が開き、五人新しい客が来たので、奥さんはとたんに忙しくなり、「はい、はい」といって、名刺をレジ横の汚れた箱の中に投げ入れた。輪ゴムとかボールペンなどでごちゃごちゃしていた。このぶんだと、武一郎の名刺も、箱の中で忘れ去られてしまうのではないだろうか。しかし、忙しそうな奥さんの背中に話しかけるなんて、とてもできそうにないので、二人は外に出るしかなかった。
「あのおばさん、絶対忘れるよな」
「しかたないよ。だいいち、井上さんがいった先なんてわかるときが来ることはまずないだろう」武一郎は、ブルーバードに乗りこみ、手を伸ばして、助手席の鍵を開けた。
「兄貴、そば、うまかったかい?」乗りこんですぐに豊雄はいった。
「まずいのなんの」武一郎は、苦いものでも噛んだように、顔をしかめて見せた。
まだ秋は遠い。窓を全開にして、生温かい風に髪を吹かれるに任せた。
ぽっかり空いた心の穴は、どうにもふさぎようがなかった。豊雄は、この頃は、暗い予感も抱いていた。大学の夏休みは終わった。しかし、何も手につかなかった。あれほど自分を夢中にさせた数学に、今はなんの興味も湧いてこなかった。こんなもの、おれがやらなくたって、誰かがやるじゃないか。自分を心配し、また、期待もしている叔父と叔母に悲しい思いをさせたくなくて、朝はいつもどおりに起きて、いつも通りの時刻に家を出た。しかし、いつもの停留所よりもよほど手前に降りて、人目につかぬところで、ただただ時間を潰していた。初めは、時間が潰せればなんでもいいと思った。何の興味もなかったが、そのような理由で、パチンコ屋に入り、一日中玉をはじいた。タバコ臭い、薄暗い店内を歩いて、景品引き換え所に向かった。店の横の粗末な小屋で現金に換えてもらうための、特殊景品をもらった。もちろん、いつものことだ。すっかりすって帰る日もある。二、三千浮いたところで終わりになる日が週に、二、三度で、たまに、二、三万もうかる。やっているうちに習慣性がついてきた。もともと凝り性の豊雄は、こういうものにはまりやすい。なにしろ、他のどんなことも手がつかないのだ。パチンコに救われたと思っている。これにも興味を持てなくなったら死ぬしかないだろう。