憑依

花
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 「ああ」豊雄は目を合わせずに、下を向いて奥へ歩いた。わざと大股でゆっくり歩いた。
 豊雄の帰宅に気づいたのか、賢素の無頓着そうな声がもう聞こえる。襖を開けて後ろに反った顔を廊下につきだしている。
 「おい、邪魔してるぞ」
 黄色と茶色のチェックのシャツとカーキ色のスラックスが目にうるさく飛びこんできた。いい匂いがする。中に入ると、コロッケを山盛りにした皿を、賢素がつき出した。
 「おれの家の近所にある山科肉店で買うてきたんやけど、どや? うまいで。焼鳥もぎょうさん持って来たんや。お前好きやったろ。鳥舟でもよう頼んどったやないか」
 いらんこと、いちいち、しゃべくる坊さんやな、と豊雄は賢素の口調が移ったことばを頭の中でいった。ああ、もうだめや、こいつが来たのなら、頼みもしないのに、知ってること全部、叔母たちに話してしもたやろな。もっとも、パチンコ屋に入り浸っていることは賢素もしらんやろが、学校いってないことはばれてるのんちがうか?
 客の接待をするには、洋風のリビングルームもあるが、賢素が通されたのは、数寄屋造りの客間だった。その料亭の一室のような部屋に入ると、賢素があぐらをかき、その前に叔父と叔母が並んでいた。叔父は銚子を豊雄に向けた。盃を叔父の方へ出しながら、賢素にもちろん京言葉ではなく話しかけた。
 「賢素、どうしたんだ? 急に」
 「いや、何、この辺まで来たんで、話でもしよかな思うて」
 豊雄は、叔父と叔母の顔を見た。二人とも何気ないふうを装っていたが、翳りは隠せなかった。やっぱり、ばれたかと豊雄は思った。しかし、三人とも、一向にその話題に触れなかった。佐緒里はそのうちに、お酒代えなくちゃねと、座を立った。酒の代わりは店の女の子が持ってきて、佐緒里は戻らなかった。叔父はしばらく付き合っていたが、やがて機嫌のいい挨拶とともに、席を立った。叔父は本当に人当たりのいい人だ。
 「部屋、あるんやろ?」
 腹がきつくなってきたころ、賢素がいいだした。店の者が、客間の前を行ったり来たりするから、落ち着かないのだろう。大きな声が遠慮なしに入ってくる。豊雄も話したいことがあるような気がした。というよりも、賢素が話そうとしていることに、応じるつもりだった。
 「あるよ。いくか?」
 いう前から豊雄は立っていたし、賢素も膝を立てていた。廊下で佐緒里に会う。
 「あら?」
 酒類を載せた盆を持った二人は、にっこり笑った。
 「なんか、つまみ持ってくね」
 「おおきに」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日