憑依

66
はじめに怒られた。坊主のくせにという言い方はいかんということだ。それやったら、漁師のくせに数学の勉強をするのはなぜか、ともいえるでというのだ。鰯の数を数えるのだといった。そなら、賽銭の勘定するのやと賢素は言い返した。
「だけどな、おれ、この世の不思議に興味があるんや」彼はあまり似合わない長髪を風にたなびかせ、数学への思いを語った。「この世の真理とか、因果応報とか、そうゆん考えるの好きなんや。生まれながらの仏教徒やからかも知らんがの。仏教と数学って似てへんか?」
「さあ」豊雄は首をひねった。賢素のいうことが見えてこない。話し方ものんびりで、あくびが出そうだった。
「生活と関係ないやろ。数学で食っていけるわけでもない。それって、昔の修行僧とおんなじや」
「はあ?」豊雄は何がいいたいんだよといいたげだ。
「昔、仏教を志した若いもんは、純粋にこの世の原理とか考えたんやないかと思うてるんや。生活とはまったく関係ない学問の世界や。おそらく仏教は、一番新しゅうて、一番難解やったろうな。おれもそういうもん、やりたい思うた。でも、今の仏教はそげなもんと違う。現代において、一番難解で、生活に無縁で、真理の探究するもんいうたら、数学じゃ。おれは、そう思うたんじゃ。そら、空海や最澄みたいに本気で救済を考えはったお方もいらっしゃったやろう。でもな、救済とかなんやとかやなく、純粋に何かを突きつめたい思うた優秀な学僧も多かったん違うやろか。おれも昔に生きてれば仏典の研究しよ思うたやろな。でも、今やったら数学じゃ。おれの中では、仏典も数学も、この世の根本原理を究めるいう意味では同じなんや」
賢素の横顔を見ながら、こんな真面目なこと語るのを見たことがあったかどうか考えた。やっぱり、今日の賢素はどこか変だ。
「物理じゃだめなのかよ? 相対性理論とか量子力学の方が、もっと最先端だと思うけど」
「そらそうや。でもや、おれ、数学が好きやったから。とにかく、わずらわしいこととか、現実の世知辛さとか忘れて、没頭できることがほしかったゆうことや。おまえだって、つらいこととか忘れて、没頭するものがほしいいうてなかったか?」
「おれは心の空白を埋められればそれでいいといったんだ」
「同じやないか」
「違う」
「どこがや?」
「だけどな、おれ、この世の不思議に興味があるんや」彼はあまり似合わない長髪を風にたなびかせ、数学への思いを語った。「この世の真理とか、因果応報とか、そうゆん考えるの好きなんや。生まれながらの仏教徒やからかも知らんがの。仏教と数学って似てへんか?」
「さあ」豊雄は首をひねった。賢素のいうことが見えてこない。話し方ものんびりで、あくびが出そうだった。
「生活と関係ないやろ。数学で食っていけるわけでもない。それって、昔の修行僧とおんなじや」
「はあ?」豊雄は何がいいたいんだよといいたげだ。
「昔、仏教を志した若いもんは、純粋にこの世の原理とか考えたんやないかと思うてるんや。生活とはまったく関係ない学問の世界や。おそらく仏教は、一番新しゅうて、一番難解やったろうな。おれもそういうもん、やりたい思うた。でも、今の仏教はそげなもんと違う。現代において、一番難解で、生活に無縁で、真理の探究するもんいうたら、数学じゃ。おれは、そう思うたんじゃ。そら、空海や最澄みたいに本気で救済を考えはったお方もいらっしゃったやろう。でもな、救済とかなんやとかやなく、純粋に何かを突きつめたい思うた優秀な学僧も多かったん違うやろか。おれも昔に生きてれば仏典の研究しよ思うたやろな。でも、今やったら数学じゃ。おれの中では、仏典も数学も、この世の根本原理を究めるいう意味では同じなんや」
賢素の横顔を見ながら、こんな真面目なこと語るのを見たことがあったかどうか考えた。やっぱり、今日の賢素はどこか変だ。
「物理じゃだめなのかよ? 相対性理論とか量子力学の方が、もっと最先端だと思うけど」
「そらそうや。でもや、おれ、数学が好きやったから。とにかく、わずらわしいこととか、現実の世知辛さとか忘れて、没頭できることがほしかったゆうことや。おまえだって、つらいこととか忘れて、没頭するものがほしいいうてなかったか?」
「おれは心の空白を埋められればそれでいいといったんだ」
「同じやないか」
「違う」
「どこがや?」