憑依

花
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 「つまり、『朱雀』の『朱』は、『赤貧』の『赤』で、『雀』は、『麻雀』の『雀』っていうことですか?」
 おっちゃんは、けむくじゃらの太い腕で、ザーレンを持ち上げた。細くて小さい唐揚げがたくさん、小麦色になって、ザーレンいっぱいにじくじく音を立てている。
 「そうや。ほんまに恥ずかしいんやけどね。ボキャブラリーが貧困だから、このぐらいしか思いつかなかったんや」
 「いや、なかなかうまい名前やよ」と賢素。
 「おおきに」
 先ほどの鶏は手早く中華鍋に放りこまれた。玉ねぎとピーマンを切って揚げたものも投げ入れる。ちゃっちゃと炒め、片栗粉を溶いたものと豆板醤を加える。にんにくの焼けるいい香りが漂う。皿に盛られ、豊雄たちの前に、ごはんとともに置かれた。ラーメンを食べた後でも、この「鶏肉の唐辛子炒め」というメニューは軽く入ってしまう。
 「おれ、これ、大好き」豊雄は、舌をやけどしながら、柔らかい鶏肉を咀嚼する。人気メニューで、おっちゃんは、もう他の客のために、「鶏肉の唐辛子炒め」を作りはじめていた。もう狭い店内はぎっしりだ。待っている人もでてきた。
 はふはふいって鶏肉を口に放りこみながら賢素がぼそぼそしゃべっている。
 「パチンコを三日やってたら、むしょうに数学が恋しくなったんや。おれ、明日は学校いくで」
 豊雄は鶏肉とピーマンを箸で挟んだ。
 「おまえは、どないするんや?」
 三日前にこう聞かれていたら、次のようには答えなかっただろう。
 「おれさ、やっぱり負けるの嫌いみたいなんだよ。昨日、今日と負けがこんで、今までのもうけがどんどんなくなっていった。でも、まだ浮いてる。一万か二万。今日勝てるかどうかで、決めようと思っていたんだ」
 賢素は大きな目を向けた。
 「決めるってなにを?」
 「五千円が基準だ。これを切ったら、おれの負け。パチンコはあきらめる。学校いって数学やる。〈現代において、一番難解で、生活に無縁で、真理を探究するもん〉を究めてやる」
 豊雄は明るい顔で賢素を見た。賢素もにっこり笑って握手を求めた。力強く賢素の手を握った。
 「賢素、ありがとよ」
 「なにをいうてはるねん。まだ負けてないやないか」賢素は握手に力をこめた。
 「いや、負けるような気がする」豊雄はそれがとても楽しい考えであるかのように、笑って言った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日