憑依

花
prev

78

 さわやかな風に優子の髪が揺れる。そのあとにつきしたがうように、賢素が駆ける。モダンな軽食スタンドで、優子と賢素がアイスクリームを買う間、豊雄はベンチの小百合の隣に腰かけていた。
 ふいに小百合が話を切りだした。
 「豊雄さん、やっぱり、ハワイに一緒にいきませんか?」
 「迷惑じゃないんでしょうか?」豊雄は小百合の黒髪の先に目をやって、あいまいな笑みをうかべた。
 小百合は顔を近づけた。「なんで迷惑だと思うんどすか? それに、向こうで乗るクルーザーは豊雄さんちのなんよ」
 「それは初耳です」豊雄の実家は漁に出るための船以外にも、ヨットやクルーザーがあり、昔から、長期休暇のときは、家族、親戚、知人など集まって、レジャーを楽しんでいる。親戚にハワイ在住日系アメリカ人がいて、日本の旅行者の駐在員をしているということも聞いたことがある。しかし、大宅家の舟がハワイにまであるということは知らなかった。
 「豊雄さんのお父さんが、ハワイにあたしたちがいくことを知ったら、クルーザーとヨットを貸してやるっていってくださって、貨物船でもう送ってくれたんや。自由に遊んでくれどすって。そやし、いっしょにヨットに乗りましょうよ。乗れるんでしょ? あたしにも教えて下さい」
 小百合の女らしい話し方、目に含んだ、愛嬌と含羞のないまじった微妙な表情、そういったもののせいで、豊雄は彼女に言われるがまま返事をしていた。心のどこかでは、自分に呼び掛ける声が何度も聞こえた。お前はまだ懲りないのか? また地獄の淵に近づこうとしているのか? 豊雄は答えていた。大丈夫、そういうのではない。今回は、深みにはまるようなことはしない。
 「佐緒里姉さんの知り合いも一緒にいくのよ。府知事の秘書をやってる方で、頭が切れて、とても美人なんやて」
 「え?」またもや意外な話に当惑し、豊雄は詳しく聞こうとしたが、アイスクリームをもって戻ってきた優子が、早口であれこれ話しはじめたので、その件は打ち切りになった。
 しかし、豊雄はさすがに小百合とのやりとりが気になっていた。熱心に自分を遊園地に誘ったり、手を握ったり、ハワイに誘ったり、その一連のことがどこかに収斂していくような気がした。そうでないと、これまでそれほど親しくなかった小百合の自分に対する行動を理解することはできない。やっぱり気をつけよう。気を取られてはだめだ。真名美のときも、何も考えずに言うとおりにしていったから、結局深みにはまってしまったのだ。まだ、なにかがおれに目をつけている。シュガーか? 菜摘か? わからない。でも、恐ろしい何かがおれをつけ狙っている。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日