憑依

花
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 小百合は、黄楊の櫛を優子から受け取ると、しばらく、しげしげと眺めた。年代物だ。もしかしたら平井家に代々伝わるものなのかもしれない。手入れもよくされていて、どこも欠けていない。手に馴染みがよく、持っているだけで、無性に髪をとかしてみたくなる。
 「その櫛、とてもええんですのよ。持ってると髪をとかしたくなりませんか?」
 自分の気持ちを見透かすように、じっと見つめて優子が言うので、小百合は、はっとした。今、本当にそうしようと思っていたのだ。彼女はなんとなくきまりが悪くて、笑いながら、櫛を髪に当ててみた。本当だ。気持ちいい。櫛先が頭皮に当たる感触が鋭敏と鈍磨の中間で、なんともいえなく絶妙だ。なにかある記憶を呼び起こすような感覚だ。高校生の頃、つきあっていた相手と二人だけですごしたことを思いだした。体の内側のどこかがうずくような気がする。男の人に優しくさわってほしい。なぜか豊雄の顔が思い浮かんだ。
 「お義姉はん、うち、その櫛でずっと髪をすいとったら、とよはんのことが、なんでか好きになったのよ」
 両手で髪をとき流していた小百合は、ぎくっとして手を止め、こわごわと優子の顔を見た。
 「どんどんどんどん、好きになって、それとなくとよはんに言うたりしてみたけど、なんにも甲斐がないから、もう悲しくなってきた。これ以上とよはんを思っても仕方がないから、この櫛を返そうと思って、土蔵にきたら、お義姉はんに見つかってしもたの。ねえ、お義姉はん、その櫛、もしかすると真名美はんのかな?」
 小百合の手が凍った。
 「そないなはずないよな。真奈美はんが、ここのタンスに入れるはずないもんな。でも、それを使ってると、とよはんのことが好きになってしまうので、もしかしたらと思ったの」
 さらに一言、二言しゃべってから、優子は土蔵をでていった。そのあともしばらく小百合の手は固まったままだった。こんな櫛は、今まで見たことがない。佐緒里が使っていた記憶もまったくなかった。もしかすると、本当に……。
 小百合は櫛をタンスにしまおうとしたが、なぜかそうすることがためらわれた。いけないとわかっているのに、あの感触の心地よさをもう一度味わってみたい。ほんの少しだったら、誰にも悪くないだろう。もしも姉の櫛だとしても、咎められるとは思えない。真名美さんのだったとしても、家中お祓いはされているのだし、今更どうということもないだろう。ほんの一度か二度、髪をすくだけだ。
 一度や二度では済まなかった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日