安部礼二小説作品集

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　彼は、負けるごとに、一ドルずつ増やすのと反対に、勝つごとに、一ドルずつ増やす方法も教えてくれた。負けるごとに二倍に増やすのも教えてくれた。これだと負けがこむとかなり損失が出る。結局、富子は最初に教わった方法が一番気にいった。何度もカジノに来たことはないが、来るときはこの方法で遊ぶようにしている。
　カジノから客室に移動したとき、ドアを開けたら窓の外にきれいな満月が見えた。月の皓皓とした明かりと、カクテルに燃えた血と、ルーレットでの興奮が、自分をいつもの自分とは別のものに変えてしまった。
　朝になったら、ベッドの隣に彼がいた。初めは頭が混乱した。自分はどこで何をどうしていたんだろうか。昨日と今朝につながりを見いだせなかった。彼の寝顔が素敵だった。やがて彼も起きだして、ルームサービスを頼んだ。カフェオレとオレンジジュースとクロワッサンとベーグルとチキンサラダを食べながら、彼は真剣な顔でいった。結婚を前提にした交際をしてほしいと。彼とはいろいろな点で気が合いそうだと思ったが、結婚は難しいだろうと思った。確かに両親は、子どもにかなり理解を示してくれて、大学へ進学するときも、法曹界に出て、世間の荒波に漕ぎだそうとするときも、決して反対しなかったが、さすがに外国人との結婚には賛成してくれないだろうと思われた。そのことはすでに釘を刺されていたからだ。彼女も外国人と生活する自信を持っていなかった。生活のこまごまとしたことに人一倍神経を使うからだ。トイレの使い方、バスの使い方、スーツケースから取り出された荷物の置き方、どれをとっても、自分のスタイルと折り合いをつけられそうもなかった。まして、食事、文化、風習など、深く大きな部分になれば、なおさら噛み合わないだろう。彼女は、こういった方面でのギャップを埋めることに、敢えて挑戦しようとする性格ではない。一晩、二晩、夜を過ごすには、自分との違いが輝くほどの魅力に感じるが、毎日のことになったら、耐えがたいストレスになるのは目に見えていた。
　富子はあまりはっきりとは言わなかったが、そのうちに彼は気がついたようだった。さみしい朝の別れとなった。富子は謝意を伝えた。彼も謝意を伝えた。その後、何度か手紙をやり取りした。
　彼のことを思うと甘酸っぱい味が口の中に広がる。
　あの時と同じ気分になっていた。これまでで三度目だ。一度目は高校生の剣道部の夏合宿。誰にも使われていない山小屋まで、付き合っている部内の男子と夜こっそり抜け出して、数時間過ごした。初体験だった。崩れた天井から満月があたり一面を皓皓と照らし、自分の裸身がくっきり見えて恥ずかしかった。