憑依

花
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 「いや、なんでもないんです。昔飼っていた猫によく似ていたものだから、ちょっとびっくりしてしまって」
 「ああ、この猫ちゃんね」富子は猫の方を見て、また頬ずりした。猫は気持ちよさそうに、「nia」と鳴いた。
 「部屋から出たら、この子がいて、わたしに近寄ってきたの。わたしはそのまま歩いていったんだけど、後をついてきちゃうの。エレベーターにも乗りこもうとするから、とりあえず抱き上げちゃった。もしかしたら、この子のご主人様が先にカフェに行っちゃったのかなと思って、連れてきてみたの。それにしても、飼い主はいったいどこにいるのかしら」
 猫を抱えた富子はビュッフェの前で立ちつくしている。ホールスタッフが富子と猫の顔を交互に見て、中に入ることを警戒している。
 「もう、困っちゃったな」と富子。
 心配して、佐緒里と小百合もやってきた。
 「あら、かわいい猫ちゃんだけど、どこのかしらね?」佐緒里が言う。
 「富子さん、そういえば、優子ちゃんはまだ降りてこないん?」小百合がきいた。
 「もうすぐだと思いますよ。あっ、そういえば、昨夜は急に部屋を替わっていただくことになりまして、申し訳ありませんでした」
 予定では、佐緒里以外の誰とも面識のない富子は佐緒里の部屋に、小百合と仲のよい優子は小百合の部屋に、それぞれ泊まることになっていた。しかし、すっかり富子になついた優子がせがんだので、急遽部屋替えすることになったのだ。
 そのとき急にシャム猫が身じろぎを始め、とうとう富子の腕から抜け出した。ロビーを走っていき、廊下の奥の方で、視界から消えてしまった。
 「主人がやってくる音でも聞こえたのかな?」佐緒里が言った。
 廊下の奥から、飼い主に抱きかかえられたシャム猫が現れるかと思って、皆で注視していると、現れたのは取りすました顔の優子だった。
 「なんだあ、優子ちゃんか」
 がっかりしたように豊雄が言うと、優子がくってかかってきた。
 「なんなのよ、とよはん、うちが朝ごはん食べに来ちゃいけなかったん?」
 「いや、そうじゃなくて……」
 「ひどい、ひどい」
 怒る優子に富子が説明すると、やっと納得する。
 しかし、豊雄はなぜか妙な気がした。
 真名美と結ばれた次の朝、詩絵は顔を見せず、その代わりのようにシャム猫が現れた。そして、詩絵はシャム猫であることがあとでわかった。真名美もシャム猫だった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日