憑依

花
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 「夢?」
 「ええ。あなたが私のために、ギターを弾いて、歌ってくれたの」
 「歌って、どんな歌?」
 「何かしら。ロックだったみたい。今、はやっている歌かもしれない。たぶん聴けばわかるとおもうわ。あっ、そうだ、メイベリーンっていう感じのフレーズを繰り返していたような気がするわ」
 豊雄の表情が凍った。
 「チャック・ベリーだ。それ、富子には聞かせていないはずなのに……。こんなやつだろ?」豊雄は、その歌をしばらく歌った。歌えば歌うほど、富子は感心したようにうなずいた。
 豊雄の声はかすれ、顔が青ざめていた。富子は、豊雄から過去の話をききだすには、もうこれで十分だと思ったが、念のため、夢で見たことをもう一つ話した。
 「それからね、とっても素敵な櫛をくれたのよ」
 「櫛?」
 「そう、由緒がありそうで、とても貴重そうな、黄楊の櫛よ」
 急に豊雄は興奮し、富子の両肩をつかんで揺さぶった。
 「そ、その櫛にはどんな特徴があった?」
 「夢で見たときは、よくわからなかったけど、小百合さんにもらったので、よく見たら、藤の紋が彫ってあったわ」
 「小百合さんにもらったって、どういうこと?」
 「夢で見たのとまったく同じのを、ハワイのホテルで下さったのよ。小百合さんは、優子ちゃんからもらったらしいの。優子ちゃんは、真名美さんの形見の品だと考えていたそうよ」
 富子は櫛を譲り受けた経緯を詳しく話した。両肩をつかんでいた豊雄の手は、力なく離れ、彼は口を開けたまま、恐れおののいていた。
 「黄楊の櫛、藤の紋……。それは、二条家の婚礼道具だよ」
 不審な顔をする富子に、豊雄は真名美との間にあった一切のこと、二条家の家宝が警察の実地検分で発見されたときに立ち会ったこと、しかし、とうとう黄楊の櫛だけが出てこなかったことなどを話した。
 真名美の話と連動するので、どうしてもしなければならなくなった菜摘の話もした。それらをすっかり聞いたあと、富子は静かに豊雄に言った。
 「だから、あなたは大丈夫なの」
 「えっ?」
 「あなたは、そんなことが近くで起こっても、こうして平気で生きているでしょう? あなたはそういう人なの」
 豊雄は、富子の言葉を聞いて、雷に打たれたような衝撃を受けた。確かにそうだ。今まで何度も危ない目にあい、周囲で悲惨な状態に陥った人があったとしても、自分だけはいつも、かすり傷ひとつ受けたことがない。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日