憑依

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富子であったはずの菜摘と、優子であったはずの謎の女は、同時にスリップをするりと畳に落とした。ブラジャーとパンティーしか身につけていない。豊雄は思わず優子の体に目をやった。白いビロードのような毛並み。波のように左右に振る腰の動きに合わせてうごめく、猫の毛のように柔らかそうな体毛。そこで豊雄は、目に見える異変にやっと気づいた。二人の全身をつややかな毛並みは覆っている。ブラジャーとパンティも取り去ると、二人は異形の怪物に成り果てていた。顔は美しい女のものだが、体は、見事な毛並みを持った、大きな猫のそれであった。菜摘の顔をしているのは、シャム猫だった。もう一匹は、白猫だった。猫というよりは、虎か獅子である。それが、耳まで裂けた口から牙をむき出して、「ギャー」とおめいている。
麻痺した頭が元に戻り、豊雄は部屋から這って逃げようとした。しかし、もうすでに、獅子のようなシャム猫の大きな足に押さえつけられている。巨大な口がゆっくり近づいてきた。獰猛な顔なのに、目元が菜摘のものであることが、余計に異様な感じを与えた。豊雄は死にたくないと思った。そうしたら急に頭の中に、「あなたは、強いものに守られているわ。よほど無茶なことをしない限り、どんなことがあっても、寿命以外では死なないわ」という女の声が聞こえてきた。今度は富子の声に変わった。
「わたしの助けが必要になったら、わたしのことを思い出してね。この水のことを思い出して」
彼はポケットを探り、水の入った小壜のふたを取り、化け猫の顔めがけて浴びせかけた。
振りかけるときは、ほとんど期待を持っていなかった。まさに焼け石に水だと思った。ところが、化け猫は、まるで熱く焼けた石でもくらったかのようになって、後ろに飛びのいた。一瞬顔を覆ったが、すぐに豊雄に顔を近づけ、やさしい声を出した。
「あなた、わたしよ。富子。あなたが、音無の滝の水をかけてくれたから、意識が少しの間だけ戻ったみたい。いい。うしろの化け物に気づかれないように、そっと逃がすから、言うことを聞いてね。わたしが逃がしたら、すぐに下から魔除けの札を持ってくるのよ。それまでは、わたしが食い止めるから」
富子の声でささやくように言った。表情も富子のものになっていた。
豊雄は黙ってうなずいた。
麻痺した頭が元に戻り、豊雄は部屋から這って逃げようとした。しかし、もうすでに、獅子のようなシャム猫の大きな足に押さえつけられている。巨大な口がゆっくり近づいてきた。獰猛な顔なのに、目元が菜摘のものであることが、余計に異様な感じを与えた。豊雄は死にたくないと思った。そうしたら急に頭の中に、「あなたは、強いものに守られているわ。よほど無茶なことをしない限り、どんなことがあっても、寿命以外では死なないわ」という女の声が聞こえてきた。今度は富子の声に変わった。
「わたしの助けが必要になったら、わたしのことを思い出してね。この水のことを思い出して」
彼はポケットを探り、水の入った小壜のふたを取り、化け猫の顔めがけて浴びせかけた。
振りかけるときは、ほとんど期待を持っていなかった。まさに焼け石に水だと思った。ところが、化け猫は、まるで熱く焼けた石でもくらったかのようになって、後ろに飛びのいた。一瞬顔を覆ったが、すぐに豊雄に顔を近づけ、やさしい声を出した。
「あなた、わたしよ。富子。あなたが、音無の滝の水をかけてくれたから、意識が少しの間だけ戻ったみたい。いい。うしろの化け物に気づかれないように、そっと逃がすから、言うことを聞いてね。わたしが逃がしたら、すぐに下から魔除けの札を持ってくるのよ。それまでは、わたしが食い止めるから」
富子の声でささやくように言った。表情も富子のものになっていた。
豊雄は黙ってうなずいた。