憑依

112
「……白色白光微妙香潔……成就如是功德莊嚴……」
豊雄は心配になって賢素に目をやった。まったく動じずに足を踏ん張っているようにも見えるが、なにか変だった。力を込めて踏みとどまっているというよりも、野原にうち捨てられた石や木片などのように生気のない感じだった。体を少し起こして、賢素の体を揺すると、簡単に横倒しになった。開いた口の奥から、枯れ草のふれあうような音がしている。「…………妙華……億佛……還………飯」ついに言葉がとぎれた。目が死んだ魚のようになっている。
「賢素―!」
豊雄は賢素を抱きかかえようとして、すぐに、弾かれたように手を離した。焼けるように熱かった。賢素の周りでみな、目を見開き、見つめあった。光雄は店の男に指示を出し、賢素を豊雄の部屋に運ばせようとした。
魔物のいる部屋は襖がひらいたままだったが、御札の霊験のためか、静まりかえっていた。入口まで近づかなければ、とりあえず危害を加えるつもりはないようだ。
みな優子の部屋をおそるおそる横目で見ながら賢素を動かした。横たえ、脈を確かめた。
新しい藺草(いぐさ)の匂いがつんときた。畳におろすと、豊雄は脈を確かめた。豊雄は顔をあげ、光雄と佐緒里にうなずいた。佐緒里は、かすれた声で「よかった」と言い、小百合が押し入れから布団を出して、手早く敷いた。
さっきまであれほど威勢のよかった賢素が、表情もなく、周囲の言葉がけになんの反応も示さなくなった様子に、だれもが怯えきっていた。口をひらく者はいなかった。大所帯の平井屋が静まりかえっていた。
優子の部屋の様子を窺おうと、豊雄は顔を突きだした。賢素があけた襖のあいだに、美少女が立っていた。目もとが涼しく、襟もとがすっきりして、にっこり笑っていた。その横に、それよりも少し背の高い菜摘が立っていた。最期の日に着ていた、セーターとロングスカートに見覚えがあった。ふたりの目もと、口もとを見つめていると、ふとそこに近寄ってみたくなる衝動に駆られる。豊雄は障子を閉めて、賢素の変わり果てた姿に目をやった。見ているのがつらくなって、畳に視線をそらした。白い蛾が腹を上にして死んでいた。彼は、自分の頭をさすったり、叩いたりした。
警察に電話をかけおえた光雄は、疲れ切った表情で腕を組んで座りこんでいたし、佐緒里は横座りになったまま唇をかみしめていた。豊雄の部屋を出たり入ったりする店の者たちは、見るからに怖がっていたし、なんの役にも立たなかった。
夕闇迫る京の大通りにサイレンの音が鳴り響いた。
豊雄は心配になって賢素に目をやった。まったく動じずに足を踏ん張っているようにも見えるが、なにか変だった。力を込めて踏みとどまっているというよりも、野原にうち捨てられた石や木片などのように生気のない感じだった。体を少し起こして、賢素の体を揺すると、簡単に横倒しになった。開いた口の奥から、枯れ草のふれあうような音がしている。「…………妙華……億佛……還………飯」ついに言葉がとぎれた。目が死んだ魚のようになっている。
「賢素―!」
豊雄は賢素を抱きかかえようとして、すぐに、弾かれたように手を離した。焼けるように熱かった。賢素の周りでみな、目を見開き、見つめあった。光雄は店の男に指示を出し、賢素を豊雄の部屋に運ばせようとした。
魔物のいる部屋は襖がひらいたままだったが、御札の霊験のためか、静まりかえっていた。入口まで近づかなければ、とりあえず危害を加えるつもりはないようだ。
みな優子の部屋をおそるおそる横目で見ながら賢素を動かした。横たえ、脈を確かめた。
新しい藺草(いぐさ)の匂いがつんときた。畳におろすと、豊雄は脈を確かめた。豊雄は顔をあげ、光雄と佐緒里にうなずいた。佐緒里は、かすれた声で「よかった」と言い、小百合が押し入れから布団を出して、手早く敷いた。
さっきまであれほど威勢のよかった賢素が、表情もなく、周囲の言葉がけになんの反応も示さなくなった様子に、だれもが怯えきっていた。口をひらく者はいなかった。大所帯の平井屋が静まりかえっていた。
優子の部屋の様子を窺おうと、豊雄は顔を突きだした。賢素があけた襖のあいだに、美少女が立っていた。目もとが涼しく、襟もとがすっきりして、にっこり笑っていた。その横に、それよりも少し背の高い菜摘が立っていた。最期の日に着ていた、セーターとロングスカートに見覚えがあった。ふたりの目もと、口もとを見つめていると、ふとそこに近寄ってみたくなる衝動に駆られる。豊雄は障子を閉めて、賢素の変わり果てた姿に目をやった。見ているのがつらくなって、畳に視線をそらした。白い蛾が腹を上にして死んでいた。彼は、自分の頭をさすったり、叩いたりした。
警察に電話をかけおえた光雄は、疲れ切った表情で腕を組んで座りこんでいたし、佐緒里は横座りになったまま唇をかみしめていた。豊雄の部屋を出たり入ったりする店の者たちは、見るからに怖がっていたし、なんの役にも立たなかった。
夕闇迫る京の大通りにサイレンの音が鳴り響いた。