憑依

花
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「そうですか。櫛が残っていたのですねえ。もしかしたらとは思っていたのです。執着があまり強いと、わたしたちの気づかないようなところに、そういう小さな物を隠しておくことがあるようなのです。これでもわたしはかなり注意して見回ったつもりなんですがねえ。申し訳ありませんでした」
 西田和尚が頭をさげると、ふたりは恐縮した。
「そんな。謝らないでください。和尚に見つけられなかったことも含めて、これはわたくしどもの運命だったのです。しかし、勝手なお願いで誠に相済みませんが、和尚の力でなんとかお救い願えませんでしょうか」
 光雄は、丁重に頼んだが、西田は首を横に振った。
「いや、こうなったらもうどうすることもできないと思います。もちろん、わたしは魔物を取り押さえるため全力を尽くすつもりですが、魔物たちの力は以前とは比べものにならないほど強くなっています。聞くともなしにさきほどの豊雄さんの話をうしろで聞いていましたが、被害者もかなり出ているようですね。魔物は殺された者の念を吸って力を蓄えるのです。わたしがこのお宅に祀ったお札などでは、もはやあの物らの動きを封じることはできなくなっているでしょうねえ。もう、わたしひとりの力ではほとんど太刀打ちできないと思います」
「太刀打ちできないとしたら、わたくしたちはどうなるのですか」豊雄がきいた。傘で防げない雨のために背中はかなり濡れている。
「そうですね。命を落とすことになるかもしれません。たとえあなたがたをお守りできたとしても、わたしはきっと命を落とすでしょう」西田は静かな目をしていた。
「それはいけません。なにかいい方法はないのですか」光雄がきいた。
 西田は黙っていた。方法はあるのだが、話すのにためらっているのではないかと、豊雄は思った。なぜかそれが自分にとても関係があるような気がした。西田の目がそういうことを言っているように思えたのだ。
「和尚、ふたりを救うためだったら、ぼくはなんだってします。ためらわずに言ってください」
 西田は黙っていた。
「ぼくに関係があるのではないですか」豊雄は畳みかけた。
 しばらくして西田はゆっくりうなずいた。そして、口をひらいた。
「そうです。あなたにしか救えないのかもしれません。あれはあなたをずっと慕っているのです。いや、あなたの心があれをそうさせているのかもしれません。つけこまれているというのでしょうか。こう言っては失礼ですが、あなたの心にはいつもすきがあるのです」
 豊雄の心が痛んだ。自分でもよくわかっていることだったからだ。
「あなたは心がいつもさまよっているのです。それで女人の心を騒がせるのです。あなたは困りながらもそれを実は望んでいます。あなたのところへは常に心を乱した女人が近づきます。あの魔物は心を乱した女人の変化(へんげ)です」
「和尚、お願いします。教えてください。どうすればあのふたりを救うことができるのでしょうか」
「あなたにできますか」西田はしかと豊雄を見据えた。
 心の奥をのぞき込まれたように、豊雄は感じた。彼はしかし、ためらわなかった。
「はい」豊雄は本心から言った。
「この先、あなたは、女性に心を乱すことがなくなるでしょうか」
 豊雄は返答に詰まった。三人の傘を打つ雨音だけが響いた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日