憑依

117
今泉春輝は暗い階段を一歩一歩のぼった。高見恭次、川上澄夫、上田徹也があとをついている。皆、左手にサーチライト、右手に拳銃を持っていた。
のぼりきると、漆喰の壁にもたれて座っている女がいた。顔を伏せて小刻みに体を震わせている。
「人質になっていたと思われる女性をひとり発見しました」今泉が口もとのマイクに向かって言った。
「生存を確認しろ」田村警部補の声が、耳につけたスピーカーから聞こえた。
そのときには川上が女性を抱えて、話しかけているところだった。女は、顔をあげて、川上の質問にうなずいている。川上が今泉を見て大きくうなずいた。
「意識ははっきりしています。もしかしたら歩けるかもしれません」今泉が警部補に報告した。
「外に連れてこい」
「では、川上にやらせます」
「よし」
今泉は川上に近づき命令した。川上が女に話しかけると、女はゆっくり立ちあがった。外傷はなさそうだ。ショックで呆然としているように見えた。まだ声を一言も発していない。今泉は女に話しかけた。
「お名前は」
「石田優子です」
低いが聞きやすい発音だった。目立った傷や汚れはない。憔悴してはいるものの、猫のような瞳は妖しいほどの魅力を発していた。
「どこか痛くはありませんか」
優子は無言で首を横に振った。
「もうひとりの女性はどのへんにいると思いますか」
優子は捜査員たちがあがってきた階段と正反対の方向を指さした。
「犯人はどんな奴らでしたか」
優子の顔がまたおびえで支配された。彼女は激しく首を横に振った。
「奥でもうひとりのかたを監禁しているんですね」
優子は顔を伏せたままうなずいた。
「安心してください。これからすぐに我々が救出に向かいます。歩けますか」
「はい」思ったより力強い声で言った。
今泉は川上に目で合図した。
川上はそっと抱えるようにした。優子は意外としっかりした足取りで廊下を階段に向かって歩いて行った。今泉が優子のうしろ姿を見送ると、ふいに彼女は首をくるりとうしろに向け、今泉を見据えた。なにか言い出すのかなと思っていたら、彼女は満面に笑みを浮かべ、また前に向き直った。今泉はぎょっとした。その笑顔の意味がわからなかった。ああいう笑顔は、だれかの目を欺いて企図を成し遂げたときに見せるものだ。ふたりが階段の底に沈んで、すっかり見えなくなった。なにかいやな感じだぞ、と今泉が思ったとき、川上の絶叫が聞こえた。
「ぎゃああ」
三人が駆けつけると、階下近くの階段の途中に、頭から落ちた川上がうつぶせに倒れていた。血が数段下まで流れていた。優子は廊下に倒れていた。今泉は優子の肩を軽く叩いた。
「大丈夫ですか」
優子は目をぱちっとあけ、にこっと笑った。今泉は激しい嫌悪感を抱いて身を引いた。優子は立ちあがって、まっすぐ前を向いて立っていた。
「今泉、大変だ。これを見てくれ」高見が大声をあげた。
今泉がのぞき込むと、川上の体を抱きかかえた高見と上田の両手がぐっしょりと血で濡れていた。血の海に隠れて川上の顔や喉がよく見えなかった。ごっそりと肉をそぎ取られたように見える。右下のあごの肉は完全に失われ、白い歯がむき出しになっていた。首の右側の肉もちぎれてしまっており、絶え間なく気管の破れ目から空気が漏れていた。息はまだあるらしい。
「しっかりしろ。川上。今助けてやるからな」今泉は言った。
川上の全身に力が入った。大きく目を開けて宙をにらんだ。人差し指を優子に向け、なにか言おうとしているが、空気が漏れて声にならない。
「ひゅー、ひゅー……」
「田村警部補、川上がやられました。……。女は無事です。ただ……。妙なことを言うようですが、この女、なにか変なんです」
のぼりきると、漆喰の壁にもたれて座っている女がいた。顔を伏せて小刻みに体を震わせている。
「人質になっていたと思われる女性をひとり発見しました」今泉が口もとのマイクに向かって言った。
「生存を確認しろ」田村警部補の声が、耳につけたスピーカーから聞こえた。
そのときには川上が女性を抱えて、話しかけているところだった。女は、顔をあげて、川上の質問にうなずいている。川上が今泉を見て大きくうなずいた。
「意識ははっきりしています。もしかしたら歩けるかもしれません」今泉が警部補に報告した。
「外に連れてこい」
「では、川上にやらせます」
「よし」
今泉は川上に近づき命令した。川上が女に話しかけると、女はゆっくり立ちあがった。外傷はなさそうだ。ショックで呆然としているように見えた。まだ声を一言も発していない。今泉は女に話しかけた。
「お名前は」
「石田優子です」
低いが聞きやすい発音だった。目立った傷や汚れはない。憔悴してはいるものの、猫のような瞳は妖しいほどの魅力を発していた。
「どこか痛くはありませんか」
優子は無言で首を横に振った。
「もうひとりの女性はどのへんにいると思いますか」
優子は捜査員たちがあがってきた階段と正反対の方向を指さした。
「犯人はどんな奴らでしたか」
優子の顔がまたおびえで支配された。彼女は激しく首を横に振った。
「奥でもうひとりのかたを監禁しているんですね」
優子は顔を伏せたままうなずいた。
「安心してください。これからすぐに我々が救出に向かいます。歩けますか」
「はい」思ったより力強い声で言った。
今泉は川上に目で合図した。
川上はそっと抱えるようにした。優子は意外としっかりした足取りで廊下を階段に向かって歩いて行った。今泉が優子のうしろ姿を見送ると、ふいに彼女は首をくるりとうしろに向け、今泉を見据えた。なにか言い出すのかなと思っていたら、彼女は満面に笑みを浮かべ、また前に向き直った。今泉はぎょっとした。その笑顔の意味がわからなかった。ああいう笑顔は、だれかの目を欺いて企図を成し遂げたときに見せるものだ。ふたりが階段の底に沈んで、すっかり見えなくなった。なにかいやな感じだぞ、と今泉が思ったとき、川上の絶叫が聞こえた。
「ぎゃああ」
三人が駆けつけると、階下近くの階段の途中に、頭から落ちた川上がうつぶせに倒れていた。血が数段下まで流れていた。優子は廊下に倒れていた。今泉は優子の肩を軽く叩いた。
「大丈夫ですか」
優子は目をぱちっとあけ、にこっと笑った。今泉は激しい嫌悪感を抱いて身を引いた。優子は立ちあがって、まっすぐ前を向いて立っていた。
「今泉、大変だ。これを見てくれ」高見が大声をあげた。
今泉がのぞき込むと、川上の体を抱きかかえた高見と上田の両手がぐっしょりと血で濡れていた。血の海に隠れて川上の顔や喉がよく見えなかった。ごっそりと肉をそぎ取られたように見える。右下のあごの肉は完全に失われ、白い歯がむき出しになっていた。首の右側の肉もちぎれてしまっており、絶え間なく気管の破れ目から空気が漏れていた。息はまだあるらしい。
「しっかりしろ。川上。今助けてやるからな」今泉は言った。
川上の全身に力が入った。大きく目を開けて宙をにらんだ。人差し指を優子に向け、なにか言おうとしているが、空気が漏れて声にならない。
「ひゅー、ひゅー……」
「田村警部補、川上がやられました。……。女は無事です。ただ……。妙なことを言うようですが、この女、なにか変なんです」