憑依

花
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「なんで外まで逃げなかったんですか」
「いつのまにかばけもんのうちの一匹が下に降りてたみたいなんです。階段まで行きかけたんですが、足音が聞こえたんで、この部屋に戻りました。階段をあがる音が聞こえたのでこの押し入れに隠れました。部屋に入ってくるだろうと、じっと耳を澄ましていました。ところが、ばけもんが部屋の前を通り過ぎていったので、あのときは本当にほっとしました。様子をうかがって、外へ出るつもりでしたが、ほどなくしてあなたがたが家の中に突入してくると、またばけもんが動きだしたので、まだしばらくは息を潜めていなければと思っていたところ、あなたが近寄ってきてくれたのです。……今泉さん、仲間を見捨ててここに逃げこんだわたしをどう思いますか」
「そんなこと言わないでください。自分だって仲間を見捨ててきたのですから。いいえ。というよりは、あの化け物に皆殺しにされてたまるか、おれがあいつらを倒すために、生き残って、なにかいい手段を考えてやる、そう思ってこの場所に一時退却したのです。佐久間さんだって、そう思われたんじゃないですか」
 佐久間は声を絞るようにして泣きだした。
「そうです。わたしもうしろ髪ひかれる思いで逃げだしました。逃げながら、絶対に仇を討ってやるぞと、心の中で叫びました。今泉さんに理解してもらえてよかったです」
「理解するもなにも、自分たちは同じ思いを持った仲間ですよ。今、警部補と連絡を取ってみます」
 今泉は、無線のスイッチを入れた。幸い、無線機は故障していなかった。
「田村警部補、聞こえますか。今泉です」
「今泉、おまえ、なんでスイッチを切ってたんだ」
 今泉は、事情を説明し、現状と佐久間のことを報告した。
「おれの頭もおかしくなりそうだが、対処の仕方を見直すしかなさそうだな」
「化け物、いや、人質のだんなさんが言っていたことが、あるいは真実なのかもしれません」
「……どうやら、そう考えざるを得ないみたいだな」
 今泉は少しのあいだ考えてから言った。
「警部補」
「なんだ」
「お願いがあるのですが」
「なんだ」
「化け物、いや、女を撃っていいですか」
「……」
 田村の反応が思ったとおりだったので、今泉は違う角度から説得することにした。
「応援は誰にやらせたんですか」
「狙撃班の四名を行かせた」
「連絡は取れますか」
「女性を見つけた、という連絡が入って、それきりだ」
「このままだと、自分と佐久間巡査部長もかみ殺されるだけですよ」
「しかし、民間人を射殺した、と新聞に書き立てられたら、えらい騒ぎになるぞ」
「もちろん自分もぎりぎりまでは拳銃を向けません。襲われる寸前なら適正な措置と見なされるでしょう」
「しかし、虎に化けたので射殺した、とは報告できんぞ」
「精神錯乱状態で凶器を持って向かってきたので、銃撃する以外に方法がなかった、と報告します。できるだけ急所は外します」
 田村はしばらく考えていたが、やがてぽつんと言った。
「実はおれもおまえにそう提案しようと思っていた」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日