憑依

花
prev

121

 真っ黒い雲が空一面を覆っていた。夜の冷たい雨に長い時間打たれて、遼二の体は冷えきっていた。なんでこんなことになったのか。さっきから何度も思考がそこへ戻った。長い付き合いの部下を失った、らしい。確かめたくても、連絡が取れない。唯一連絡が取れる今泉も、それをはっきり確かめられる状況にはない。しかし、気管から空気が漏れるほどの深手を負った川上が、これほど長い時間生きているはずはない。相当の出血だと報告を受けている。すぐにでも救急隊員に運ばせたかったが、それは不可能だ。救急隊員は、医療テントの下で、自分の指示を待っている。一度に多くの仲間を失うのは確実だということだけはわかる。警察官になったら、当然、そういう事態がありうることは覚悟しておかなければならない。しかし、なぜそれを味わうのがおれなのだろう。大半の警官は、ここまでひどい事態に対処することもなく、定年を迎えるはずだ。ああ――。出るのはため息ばかりだ。それ以外にも考えなければならない、いや、考えないようにしようとしても、頭に浮かぶことがたくさんある。たとえば、今泉はふたりの女性をきっと射殺するだろう。このことをどう報告すればいいのだろうか。実際には、殺人犯などいない。いるはずがないのだ。これはまぎれもなく化け物の仕業だ。しかし、いったいだれがこのことを理解してくれるのだ。恐ろしく体の大きな数人の男が、斧のような鋭い武器で捜査員を惨殺した。拳銃で攻撃すると、素早く身をかわし、それた銃弾がふたりの女を撃ち抜いた。犯人は厳重な包囲網をすり抜けて北山に逃走した模様。天狗かもしれない。とでも報告すればいいのだろうか。考えるだけで、気が遠くなりそうだ……。
「刑事さん」
 うしろからふいに声をかけられ、遼二は慌てた。見ると、化け物に取り憑かれたという女の亭主だった。
「なんですか」ぶっきらぼうに言ったが、声に力はなかった。
「ぼくは妻たちを説得してみます。許可していただけませんか」
「え……」遼二は即座に追い払おうとしたが、なにも言えなかった。さっきこの男が言ったとおりに事件が進行したので、彼の言葉を無碍(むげ)にできないような気分になっていたのだ。それに、いっしょに説得に来た僧衣の男は、見るからに不思議な力を持っているように感じた。
「すみません。半信半疑なのはわかっていますが、聞くだけでも聞いていただけたらと思いまして……」
 豊雄は悪霊を退治するためにこれからすることをありのままに話した。普段の遼二だったら、まったく取り合わないに違いなかった。しかし、理解の及ばない事態で部下を失った彼はすっかり弱気になっていた。
「わかりました。我々が護衛をしますので、説得に当たってください。危険な状況になりそうだと判断したら、すぐに退却していただきます」
 豊雄と西田和尚は、田村警部補と狙撃手に守られながら、平井屋に向かった。
 田村は無線のスイッチを入れた。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日