憑依

花
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125

 田村が格子に手をかけ、銃をいつでも撃てるように構えた。ひっそり静まっている。田村はすばやい動きで格子戸を開け放つと、銃を両手で構えて中を調べた。しばらくして顔を出し、豊雄と西田和尚に入るよう合図した。さっき入った捜査員はみな倒れていた。喉が食いちぎられて血が流れている者、上衣とズボンのあいだから腸がはみだしている者、いずれもまったく生気を感じることができなかった。
 地獄の中を歩いているようだった。血をよけながら歩いたが、豊雄と西田和尚はいつのまにかズボンの裾を汚していた。
 田村は悔しかった。自分の作戦がうまくいっていないことに対してではなく、自分には理解できない事態によって、苦楽をともにしてきた部下たちの大半を失ってしまったことに対して、悔しかった。彼はもはや決心を固めていた。飛んで火に入る夏の虫というほかない提案をしたふたりと家の中に入ろうと思ったときすでに、化け物と戦って死ぬことを決心したのである。

 彼ら三人は二階の広間の入り口で立ちどまった。虎のようにでかい猫が二匹(二頭)、こちらをにらんでいた。飛びかかる寸前に西田が錫杖(しゃくじょう)を掲げた。化け猫の動きがとまった。豊雄と田村は大きく動揺していた。だが、西田は微動だにせず、静かな口調で豊雄を促した。
「豊雄さん、あなたがこの霊に向かって、真実の気持ちをしっかりと告げることが大切です。どうぞ、お願いします」
「はい」
 豊雄の頭の中は整理できていなかった。しばらく間(ま)があいたので西田和尚が心配そうに豊雄を見た。彼はなんであれ、自分の偽らざる思いを霊に伝えようと思った。 「菜摘……て呼べばいいのかな。おれはもっともっと本気で菜摘と暮らすことを考えるべきだったんだ。だけど、それは無理だよって菜摘に言われて、あきらめてしまったんだ。菜摘はそのほうがうまくいくって考えていたように思えたし、おれも菜摘に言われて、無理することが恐くなった。確かに正式に結婚しようとしたら、数々の抵抗が待ち構えていたに違いない。兄の怒り、父母の反対、親類の困惑、周囲の嘲笑。大学進学も断念して、菜摘とふたりで遠い街に駆け落ちして、安アパートで暮らして、日雇い人夫かなんかで生活していくしかなかっただろう。しかし、こっそり会っていれば、生活を変えずに楽しみあえるのだ。意気地なしのおれは安易な道を選んでしまった。それがそもそもの間違いだった。どんなに苦しい道だと思っても、本気で菜摘のことを思うのなら、困難な道を選ぶべきだったんだ」
 大きなシャム猫がぐっと顔をあげた。西田和尚はすかさず錫杖を掲げる。しかし、向かってこないでじっとそのままの姿勢で豊雄を見つめるだけだった。燃えるような瞳だった。瞳はそのままで突然体が変わっていった。和歌山の漁村で過ごしていたころ、よく着ていたワンピース姿の菜摘が、姿勢よく立っていた。瞳の色が和らいだ。
「ありがとう」
 雨音が強まり、風が激しく窓を叩いた。
 菜摘は自然な動きで右手を前に伸ばした。手が豊雄の手をはっきりと求めていた。
 豊雄は夢の中にいるように、意識がかすみかけていた。つられて手を伸ばして、体が前に動きだそうとした。それを西田和尚が力強く抑えた。
「豊雄さん、惑わされてはなりませんよ」
 豊雄の頭が覚醒した。あと少しで手を捕まれる寸前に、必死に西田和尚の体にしがみついた。筋肉質の太い体がこのうえなく頼もしかった。
 菜摘の右手が空を切った。大きな目だった。海岸の密会の場所で非業の死を遂げたときのままの菜摘だった。かっと目を見開き体をのけぞらせ、その胸にはナイフが立っていた。
「豊雄さん。痛い。助けて。早く!」
 豊雄の感情がまたさかのぼっていきそうになった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日